世界地理・世界史の謎

イギリスがEUと距離を置いているのは?

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マグナカルタ、百年戦争、エリザベス女王、名誉革命、ヴィクトリア女王、チャーチル、サッチャー・・・

世界史に何度も出てくるイギリス。近世から現代にかけて世界に大きな影響を与えたことは、現在世界各地で英語が使われていることからも解ります。

 

そんなイギリスについて近年紙面を騒がせているのが、EUの離脱問題です。後述するように、イギリスのEC(EUの前身)加盟はフランスなどより遅く、またEU諸国の多くが導入したユーロも使っていません(現在もポンドを用いています。なぜイギリスはEUから距離を置いているのか? もちろん様々な要因・背景がそこにはあり、一言ではとても説明できないのですが、ここではその歴史的な背景に絞って考えてみたいと思います。(ゆえに革命とか人権とかの話は別の機会に・・・)

大陸からやって来た人々

イギリスの大部分をしめるのがグレートブリテン島。日本の本州より、ひとまわり小さいこの島に、首都ロンドンを始めとするイギリス人の殆どが暮らしています。

古代の日本に多くの渡来人がやって来たように、古代のグレートブリテン島にも多くの人々がやってきました。

紀元前のケルト人に始まり、ローマ人、ゲルマン系のアングロ・サクソン人、北欧ヴァイキングのデーン人ノルマン人などなど。海で大陸から隔てられているとはいえ、英仏海峡(ドーバー海峡)は、だいたい北海道~青森県くらいの距離しかなく、小型の船でも十分上陸は可能でした。

ノルマン・コンクェスト11世紀~教皇・上皇の力~より↑

特に11世紀、現フランス北部にあったノルマン人のノルマンディ公国は、イングランドを征服したために大陸と島にまたがる領地をゲットしました。

しかしこの領地を巡ってフランスとの争いが絶えず、14世紀には百年戦争が始まります。イギリス(イングランド王国)はこの戦いに敗北し、大陸側の領地を失いました

目指すは海の向こう

この後、イギリスはその野心を大陸から海へと向けるようになります。イギリス史を代表する女王、エリザベス1世の時代(16世紀後半)には海軍の強大化に成功し、大航海時代の先輩にしてライバルたるスペインの無敵艦隊(アルマダ)を破りました。

 

また彼女は東インド会社という、アジア貿易のための会社も設立。この会社がインド東南アジアとの貿易を担いました。長くは続きませんでしたが、日本(安土桃山時代)とも接触しています。

エリザベス1世

 

17世紀には、市民革命を経験した一方で、海外への移住(植民地化)も大規模に。近い所では隣国アイルランドの支配を本格化させ、遠い場所では、アメリカ大陸に植民地を築くようになります。

 

18世紀後半からは、機械による大量生産、いわゆる産業革命がヨーロッパで最初に起こり、経済的にも大国となっていきます。このことは軍事力をも高める結果となり、貿易相手国だったインドや東南アジア、アフリカ等もやがてはイギリスの植民地となっていきました。

産業革命

ナポレオンとヒトラーを食い止めた海

イギリスがヨーロッパ以外の地域に進出していった17~19世紀、ヨーロッパではフランス、ドイツ(プロイセン)、ロシアといった大国が何度となく戦争を繰り返し、そのたび同盟を結んだり、破られたりしました。

 

1789年フランス革命が起き、その混乱と他国の攻撃という状況の中でナポレオンが登場しました。ナポレオンはフランスを守っただけでなく、イタリアやドイツ、スペインなどに侵攻し、その多くを占領しました。しかしイギリスはトラファルガーの海戦でナポレオンに勝利し、フランスによる占領をまぬがれました。

vsナポレオン

ナポレオン失脚後もヨーロッパでは敵味方が目まぐるしく入れ替わるゴタゴタが続いていました。この頃のイギリスは、産業革命でグングン伸びた経済力と軍事力により他の国と同盟を結ぶ必要性があまりなく、もっぱら「大英帝国」の建設に力を入れていました(光栄ある孤立などと呼ばれています)。結果、大陸ヨーロッパとは距離をおいた形となりました。

大英帝国の海外進出

しかし20世紀になると、ドイツ帝国など新しい経済大国、軍事大国が出現し、この結果、日英同盟や、英仏露三国協商といった同盟関係を結ばざるを得なくなりました。

1939年第二次世界大戦が始まると、ヒトラー率いるドイツはポーランド、デンマーク、オランダといった国々を次々と占領し、40年にはついに大国フランスまでがその占領下に入ってしまいます。

更にドイツは空軍をもってイギリスを攻撃しますが、時のチャーチル首相の徹底抗戦によりドイツのイギリス占領は失敗に終わりました。

vsヒトラー

このようにイギリスは、ヨーロッパのゴタゴタを(間接的にも直接的にも)何度も回避した歴史を持っているのです。

遅れて参加したEC

戦後、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、そして西ドイツの間で、ヨーロッパ共同体ECが成立しました。

これは、世界大戦のような惨劇を予め防止するため、その原因である資源などを共同で取り締まることを目的としていました。また、アメリカや日本といった経済大国と対等に渡り歩くため、一致団結しよう、といった声が形になったものです。ECの発足は1967年で、上の6か国が最初の加盟国でした。

 

この中にはしかしイギリスは入っていません。フランスのドゴール大統領らが反対したことに加え、イギリスとしても、フランスや西ドイツが主導権を握っているこの団体に加わることに抵抗があったと言われています。結局イギリスの加盟は、石油危機などでヨーロッパ経済が変化した1973年の事でした(アイルランドとデンマークも加盟)。

イギリスのEC加盟

このECが発展して1993年発足したのがご存知、EUでした。基本的にEU加盟国内では人や物の移動が自由(パスポート不要)ですし、1999年からは統一通貨ユーロも導入されたことで、お金の流れもよりスムーズになりました。しかしここでもイギリスは距離を置き、ユーロ導入を見送りました(ユーロを使わないEU加盟国は、スウェーデンなど他にもあります)

イギリス情勢から見えること

しんかしながら、ギリシャ危機によりEU内が混乱し、また移民・難民の増加によってトラブルも増え、EU内のどこの国でも「もうやってられるか!」と主張する人が一定数(無論、全員ではありません!)出てきました。その中でイギリスが唯一(最初に?)離脱を決定し得てしまったのには、やはり、EUに対する大陸ヨーロッパとの「温度差」があるように思えてなりません。(もっとも、イギリス人にも離脱反対派が大勢いることはご存知かと思いますが・・・)

2019年のEU

島国であること、それは大陸諸国の攻撃や揉め事にある程度距離を置ける、というメリットがある一方、他国から切り離され孤立するという危険性もあります。

これには、同じ島国であり、アジア大陸の国々と共通点を持ちながら、関係がビミョーになりがちな日本にも、なんだか通ずる所があるのではないでしょうか。

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