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12世紀~軍事政権興る~

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12世紀の世界
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ヨーロッパのカトリック教徒によって築かれたエルサレム王国は、いわば騎士たちの築いた軍事国家でした。12世紀は奇しくも洋の東西で軍人が活躍し、政治を握るようになります。エジプトのアイユーブ朝、高麗の武臣政権、そして日本の鎌倉幕府などです。一方で宋のように文治主義を続けた国もありました。

西アジア・北アフリカ

聖地エルサレムをはじめ、地中海東岸をキリスト教勢力に奪われたイスラム勢力でしたが、間もなく十字軍相手に”ジハード”を仕掛けるようになります。1127年にセルジューク朝から自立したシリアのザンギー朝が最初に十字軍への反撃を開始し、30年程かかっていくつかの十字軍国家(エルサレム以外にも十字軍支配の国があった)を撃破しました。

 

一方エジプトでは1169年にファーティマ朝を破った英雄サラディンアイユーブ朝を開きます。この王朝はテュルク系の軍人奴隷(マムルーク)を基盤とした軍事政権でした。サラディンもまた十字軍相手に戦闘を繰り返し、1184年ついにエルサレムをイスラム側に奪還しました。その後もエルサレムを巡る両宗教の興亡は続きますが、イスラム側の優位は揺るぎませんでした。

 

なお、中東全域に支配権を広げていたセルジューク朝は、かつてのアッバース朝と同じく地方の分離を防ぐことができず、1157年に解体。その中心だったイラク・イラン地方の政権は、この後中央アジアで強大化したホラズム王国によって、1194年に征服されてしまいます。

ヨーロッパ

十字軍遠征によるキリスト教徒とイスラム教徒との接触は、単に戦いのみをもたらしたわけではありませんでした。軍についていったヨーロッパ商人は、イスラムとの交易を開始し、大きな利益を得ます。

 

十字軍遠征は13世紀まで何度も行われますが、当然戦争にはお金が掛かるもの。商人達は財政面で十字軍を支援する一方で、遠征を利用して商売に励み、力を付けていったのです。中でもイタリアの都市国家、ジェノヴァヴェネツィアは海上交易で成功し、この後ヨーロッパ世界にも大きな影響を与えることになります。

 

また、イスラムで研究の盛んだった科学技術や知識、あるいはヨーロッパでは中世の混乱期に失われてしまったギリシャ哲学なども、交易を通じて輸入され、医学や文学、美術などにも影響を与えました。

逆輸入されるギリシャ哲学

十字軍以外の話題としては、神聖ローマ皇帝ローマ教皇の権力争い(叙任権闘争じょにんけんとうそう)が12世紀、一応の決着をみますが、その後も両者の対立は続きました。

 

この対立を利用したのが、ドイツとローマの間に位置していた北イタリアの諸都市(ミラノフィレンツェなど)。これらの都市も商業で力を付ける一方、皇帝と教皇どちらを支援するか、という外交カードをちらつかせて自治権を得ていきます。

 

1167年にはミラノを中心に複数の都市がロンバルディア同盟を結成し、神聖ローマ帝国から数々の権利を得ました。こうして北イタリアでは、先のヴェネツィアなどと共に、都市国家が各地に生まれる、独特な歴史を歩むことになります。

日本

京では白河上皇によって開始された院政(天皇に代わり上皇が政治を担うこと)が続いていました。歴代の上皇はまた、当時力を付けていきた武士を取り立てますが、中でも2大巨頭だったのがの源氏平氏でした。1156年鳥羽上皇の跡継ぎを巡る保元の乱、58年にはその勝者同士が争う平治の乱が起きますが、両戦争に勝ったのが平清盛でした。

 

彼は新たに院政を始めた後白河上皇と共に政治を動かしていきます。清盛は中国のとの貿易を開始し、その水運ルートである瀬戸内海を整備。厳島神社が現在のようになったのもこの事がきっかけでした。しかし、やがて2人の間にも亀裂が。後白河上皇は伊豆に流された源頼朝を頼るようになります。

 

これに応えた頼朝は1180年に蜂起。平清盛も翌年病死し平氏は総崩れに。皮肉にも彼らの整備した瀬戸内海沿いに追い詰められ、壇ノ浦の戦いで滅亡しました。この間、源頼朝は、京から遠く離れた鎌倉の地で武士による政治体制を確立。史上初の武家政権、鎌倉幕府を誕生させます。

中国・東アジア

中国北部では契丹族の遼王朝が大勢力になっていましたが、12世紀なると、中国国東部(満州)から女真族と呼ばれる新勢力が登場します。女真族の長、完顔阿骨打ワンヤン・アグダが1115年に建てたのが金王朝で、遼王朝は間もなくこの金王朝によって倒され、中央アジアへと逃れていきました。

 

金はまた北宋とも対立し、1126年、北宋の皇帝である欽宗きんそうと前皇帝の徽宗きそうを捕らえてしまいます(靖康せいこうの変)。こうして宋の一族は更に南へと拠点を移さねばなりませんでした。これが南宋です。

靖康の変

以後、中国では12世紀を通じて北の金、南の宋という関係が続きました。幸い中国南部は今も昔も世界的な米どころであるため、南宋社会は安定しており、貿易も盛んに行われました。平清盛が始めた日宋貿易の相手国も、この南宋です。

朝鮮半島

当時朝鮮半島にあった高麗では、官僚は両班ヤンバンと呼ばれていました。これは更に文官(文班)と武官(武班)に分かれていましたが、軍を率いる武官は、政治を動かす文官より下に見られていました。

 

しかし前述の金王朝は高麗をも脅かし、社会は動揺。それに乗じた権力争い(1126年・李資謙イ・ジャギョムの乱)や、民衆の反乱(1135年・妙清ミョジョンの乱)も起こります。

 

度重なる反乱を鎮圧しても、優遇されるのは文班ばかりという状況に、武班たちは不満を持ち、1170年、ついにクーデターを起こしました(庚寅こういんの乱)。この結果多くの有力な文班が殺害、追放され、国王も交代。武臣政権といわれる新しい政治体制が形成されていきます。

 

更に1196年、崔忠献[rt]チェ・チュンホン[/rt]の時代からは、彼の一族(崔氏)が代々武臣政治のトップに就くになります。

東南アジア

インドシナ半島の王朝では、近代まで明確な「国境」というものがありませんでした。国の範囲は国王の能力に比例し、その影響力は、都から離れるに従って徐々に小さくなっていきました。逆に言えば、広範囲を支配域入れた国王は、それだけ有能な人物だった証拠といえます。このような国を、「マンダラ国家」と呼ぶことがあります。

カンボジアのアンコール王朝では、人々を惹きつけるために神の力を借りるようになります。そして12世紀には大規模なヒンドゥー寺院が建設されました。かの有名なアンコールワットです。

 

この寺院を築いたスールヤヴァルマン2世の時代、アンコール朝の覇権は現在のタイからベトナム南部にまで広がっていました。彼はインドシナにおける「時の人」であり、アンコールワットはそれを象徴する、いわば「記念碑」でもありました。

アンコール朝

スーヤヴァルマン2世の没後は地方が独立し、アンコール朝の支配域は縮小。しかし12世紀末に登場したジャヤヴァルマン7世は、道路や病院の建設などインフラ整備にも努め、人々の支持を得ました。アンコール朝の範囲はこのジャヤヴァルマン7世の時代最大に達します。すなわち王朝の最盛期を迎えたのでした。

 

このほか12世紀の東南アジアでは、無数の寺院(パゴタ)を建てたミャンマー(パガン朝)の王チャンシッター、新田開発を積極的に行ったベトナム(大越国)のここに漢字李英宗リ・アイントンなど、民衆を味方につけるべく涙ぐましい努力を重ねた名君がいました。

~主な出来事~

1115 完顔阿骨打ワンヤンアグダ王朝を建てる(東アジア)

1120頃 アンコールワット建立(カンボジア)

1122 ヴォルムスの和約。叙任権闘争決着(ヨーロッパ)

1125 金王朝の侵攻により遼王朝滅亡(東アジア)

1126 靖康の変 金王朝の攻撃でより徽宗ら捕らえられる。高宗南宋を開く(中国)

1130 シチリア王国成立(イタリア)

1142 紹興しょうこうの和議 南宋が金へ朝貢することに(中国)

1143 ポルトガル王国成立(ポルトガル)

1147 ムワッヒド朝成立。ムラービト朝滅亡(モロッコ~イベリア半島)

1148 ゴール朝成立。(インド~アフガニスタン)

1154 イングランドでプランタジネット朝開始(イギリス)

1156 保元の乱(日本)

1156 オーストリア公国成立(中欧・オーストリア)

1157 セルジューク朝分裂(西アジア)

1158 平治の乱平清盛が源氏を撃破し、権力を握る(日本)

1167 ミラノなどイタリア諸都市、ロンバルディア同盟成立(イタリア)

1168 エジプトにアイユーブ朝成立(エジプト)

1168 ステファン・ネマーニャセルビアを統一(バルカン半島)

1170年頃 哲学者イブン・ルシュド、ムワッヒド朝に仕える(モロッコ~イベリア半島)

1170 高麗で武臣が権力掌握(朝鮮半島)

1181 ジャヤヴァルマン7世即位。アンコール朝最盛期(カンボジア)

1184 サラディンエルサレムを十字軍から奪還(西アジア)

1185 壇ノ浦の戦い。平氏滅亡(日本)

1192 源頼朝征夷大将軍となる(日本)

1196 崔氏の武臣政権発足(朝鮮半島)

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