世界地理・世界史の謎

7世紀~イスラムの誕生と唐の繁栄~

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7世紀の世界
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7世紀は大きな変革の時代でした。中国ではが成立し、東アジア世界にも大きな影響を与えました。

日本でも大化の改新が起こり、天皇中心の本格的な国が築かれました。しかし何といっても最大の変化は、西アジアでイスラム教が誕生したことでしょう。

西アジア

ビザンツ帝国ササン朝ペルシャは、互いに争う中疲弊し、それまで両方の影響を受けていたアラビア半島では権力の空白が生まれます。ちょうどその頃、宗教都市メッカの商人だったムハンマドは、610年”神の啓示”を受けてイスラム教を開いたとされます。

 

この後メッカで迫害を受けたムハンマドとその信徒たちはアラビア北部のメディナへ逃れて支持を集め、630年にメッカ制圧に成功。更にアラブ民族の多くを従え、ムハンマド死後の642年、弱体化していたササン朝に勝利します。

 

この結果ガタガタになったササン朝は、651年滅亡しました。ビザンツ帝国からもシリア、パレスティナ、エジプトなどを奪うことに成功。いずれもアラビア半島より土地が豊かだったため、大勢のアラブ人がここへ移住していきました。

 

しかし7世紀後半になると、今度はイスラムの指導者(カリフ)の座を巡る権力争いが起き、カリフ暗殺事件が多発。見かねた地方長官のムアーウィアがカリフを名乗ってウマイヤ朝を起こします。

 

これに対し、自分こそ正統なカリフだと主張したのが、ムハンマドの一族だったアリー。この争いが現在も続く、スンニ派とシーア派の対立に繋がっていきます。

イスラムの教え

東アジア

7世紀当初、中国の王朝はでした。日本では蘇我氏と手を結んだ聖徳太子が、小野妹子を隋に派遣(遣隋使)し、当時の皇帝、煬帝ようだい謁見えっけん

この時に渡した文章が、「日出ずる国(=東の発展著しい日本)の天子(=中国の皇帝と対等の君主)、日没する国(=西の最近落ち目な隋)の天子へ挨拶申し上げます。」というものだったため、煬帝が怒ったというエピソードは有名です。

 

しかし実際隋は、長江黄河を結ぶ大運河を建設したり、高句麗を攻撃して失敗するなどして混乱。酷使された農民が反乱を起こして間もなく滅亡し、李淵りえん李世民りせいみん親子によりが開かれました。2代目李世民は、後の中国王朝にも通じる優れた官僚制度を整えた名君として知られています。

 

朝鮮半島の新羅はこの唐との関係を強化し、キム・ユシンら、名称の活躍もあって百済高句麗を倒して、史上初めて朝鮮半島を統一しました。日本に亡命した百済は再起を図り、日本軍と共に新羅・唐軍と戦いました(白村江はくすきのえの戦い)が、敗北し、百済復活の夢は潰えました。

 

日本では聖徳太子の没後、蘇我氏が再び強大化したため、皇族の中大兄皇子が645年クーデターで彼らを滅ぼします。以後、天皇家を中心とした国づくりが始まりますが、これを大化の改新と呼びます。その国家建設には唐の制度が大きく取り入れられ、それを学ぶための使節、つまり遣唐使が盛んに送られました。

東南アジア・インド・チベット

海のシルクロードを経て発展してきた東南アジアでしたが、次第にマラッカ海峡両岸にも多数の港町(港市国家)が出現していました。7世紀頃これらがまとまり、より大きな国になっていきます。このシュリーヴィジャヤは、現在のマレー半島とスマトラ島にまたがる国家群で、海を挟んだ一つの世界を造り上げていきました。

シュリーヴィジャヤ

 

 

インドでは不統一な状態が続いていましたが、7世紀にはハルシャ王によるヴァルダナ朝が一時強大化し、中国の仏僧、玄奘げんじょうもこの王の歓迎を受けています。玄奘がインドまで修行に行った記録が、後に『西遊記』の元となりました。

 

ヒマラヤ山脈のチベットでは吐蕃とばんという国がソンツェン・ガンポ王の元で大きくなり、現在のネパールやブータンに当たる地にも大きな影響を与えました。

 

ヨーロッパ

ヨーロッパでは、ゲルマン民族の争いに輪をかけるように遊牧民アヴァールの侵入が続き、それにくっつくような形でスラヴ族が入ってきます。現在のポーランドやチェコ、セルビアなどで多数派となっている人々です。7世紀末に入ってきた遊牧民ブルガール族も、スラヴ文化を受け入れ、後にバルカン半島の強国となるブルガリア王国を築きました。

 

西ヨーロッパではフランク王国が最大の国でしたが、分裂と統合を繰り返しており、まだまだ不安定でした。イタリア北部ではゲルマン系ランゴバルト王国が拡大し、ローマ教皇やビザンツ帝国を脅かしました。イギリスでは、アングロ・サクソン族が各地に王国を建設。七王国(ヘプターキー)時代と呼ばれています。

 

~主な出来事~

604 聖徳太子 十七条の憲法を制定(日本)

607 小野妹子の皇帝煬帝のもとへ派遣(日本)

610 ムハンマドイスラム教開く(西アジア)

612 ヴァルダナ朝ハルシャ、北インド統一(インド)

618 隋滅亡 成立(中国)

622 ムハンマド、メッカで迫害激しくなり、メディナへ亡命(ヒジュラ)(西アジア)

626 唐で太宗(李世民)即位。貞観の治始まる(中国)

629 玄奘、インドへ向けて長安を出発(アジア) 

   吐蕃ソンツェン・ガンポ即位(チベット)

632 ムハンマド、メッカ制圧。アラビア半島の諸部族を従える(西アジア)

642 イスラム、ニハーヴァンドの戦いササン朝を破る(中東) 

   ビザンツ帝国からエジプトを奪取(中東)

645 中大兄皇子大化の改新起こす 天皇中心の政治制度始まる(日本)

651 ササン朝滅亡(西アジア)

653 イスラム経典『コーラン』成立(中東)

660 新羅百済を滅ぼす(朝鮮半島)

661 ムアーウィアによりウマイヤ朝成立(中東)

663 白村江の戦い 新羅連合軍、日本百済軍を破る(東アジア)

672 壬申の乱 天武天皇が即位(日本)

676 新羅文武王、朝鮮半島統一(朝鮮半島)

681 アスパルフ第一次ブルガリア王国建国(東ヨーロッパ)

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