5世紀~世界を揺るがした遊牧民族~

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5世紀はユーラシアの東西で遊牧民が台頭した時代でした。西のフン族、中央アジアのエフタル、東の鮮卑といった、それまでの時代には”文明の外に置かれた野蛮人”として扱われていた人々です。
彼らは馬を武器に、農業で富を成した今までの王朝に挑戦を始めます。そして、これら新勢力の進出に押し出される形で、別の民族も移動を開始する・・・新たな時代を予感させる大きな変化をもたらしました。
東アジア
中国北朝では五胡十六時代が終わりを告げ、拓跋氏による北魏が成立します。この拓跋氏も元は遊牧民だった鮮卑の一派でしたが、中国文化に触れるにつれ、馬を降りて定住生活を受け入れていきます。
モンゴル平原には柔然という遊牧民国家が成立しました。中国北部が”異民族”に占領されたため、中国文化の中心は南朝に移ります。
中国南部では4世紀の東晋から6世紀の陳にかけて5つの王朝が興亡しますが、いずれの時代でも優れた中国文化が花開きました。この5王朝にに三国時代の呉を加えた6つの王朝を六朝と呼び、その文化を六朝文化と呼びます。
5世紀に活躍した文化人としては、詩人陶淵明などが有名です。この頃日本はまだ統一には程遠い状況で、いわゆる「倭の五王」が続々と中国(宋)に使いを送りました。
インド・西アジア
インドではグプタ朝が、チャンドラグプタ2世の元で最盛期を迎えます。彼の時代、新しい仏教美術が開花し、アジャンター寺院などインド各地の宗教施設を彩りました。またヒンドゥー教が大きく拡大したのもこの頃で、交易を通じ、仏教やヒンドゥー教は、新興国が生まれつつあった東南アジアにも伝わりました。
しかしチャンドラグプタ没後の5世紀後半には、遊牧民エフタルがインドにも侵入し、交易路を断たれたグプタ朝は衰退を始めます。エフタルは西アジアのササン朝ペルシャ帝国にも打撃を与えるなど、後の歴史にも大きな影響を与えていますが、当時を知る資料が少なく、その実態は多くの謎に包まれています。
ヨーロッパ
同様に謎の多い民族が、ヨーロッパに進出した遊牧民フン族でした。この大王アッティラの名は、当時のヨーロッパ人を恐怖に陥れた人物としてよく知られています。
4世紀末から5世紀にかけ、フン族がヨーロッパを荒らしまわったことで、そこに暮らしていたゲルマン系民族は移住を余儀なくされ、ゴート、フランク、ヴァンダル、ブルグントといったゲルマン系民族の王国が各地に成立。
一連の動きに翻弄され弱体化していた西ローマ帝国の皇帝は、476年、ゲルマン系軍人オドアケルの攻撃で退位に追い込まれます。こうして西ローマ帝国は、分裂後100年と経たずに滅亡しました。
ゲルマン民族大移動のきっかけを作ったフン族は、一説にはかつての中国(漢)を脅かした匈奴の子孫ではないかともいわれています。それが本当なら、彼らはユーラシア内陸の草原地帯を駆け抜け、はるばるヨーロッパまでやって来たことになります。東洋史と西洋史はやはり様々な局面で繋がっていることを実感させられる出来事といえます。
~主な出来事~
402 柔然の君主社崙、モンゴル高原に台頭(東アジア)
415 チャンドラグプタ2世没(インド)
420 南朝に宋王朝成立~479(中国)
426 キニチ・ヤシュ・クック・モ、コパン王に即位(中央アメリカ・マヤ文明)
427 高句麗、平壌に遷都(朝鮮半島)
431 エフェソス公会議 キリスト教諸派の内、ネストリウス派が異端とされる(ヨーロッパ)
439 北魏の太武帝、五胡十六国時代を統一(中国)
450頃 遊牧民エフタル、グプタ朝へ侵攻(インド)
452 アッティラ率いるフン族、西ローマ帝国蹂躙(ヨーロッパ)
471 北魏に孝文帝即位。漢民族の文化吸収し、同化政策実行~499(中国)
476 オドアケルにより西ローマ帝国滅亡(ヨーロッパ)
481 クローヴィス、フランク王国建設(ヨーロッパ)
493 テオドリック、イタリアに東ゴート王国建国(ヨーロッパ)
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