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4世紀~認められたキリスト教~

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 ローマ帝国に混乱をもたらした軍人皇帝時代は、3世紀末、ディオクレティアヌスが皇帝に即位したことでようやく落ち着きます。彼は帝国を4つに分け、2人の皇帝、2人の副帝を各々置くことで、地方の独立勢力を抑えようとしました。

 

ディオクレティアヌスはまた、キリスト教徒に大弾圧を加えた皇帝としても知られています。しかし彼の弾圧をもってしてもキリスト教は息絶えませんでした。それほどまでにこの宗教は人々に受け入れられ、信者を増やしていたのです。ついには君主達もこのキリスト教を認めるようになります。

西アジア・アフリカ

キリスト化の最初はコーカサス山脈に位置するアルメニア王国でした。この国は当時ササン朝とローマ帝国が覇権を相争う係争地でしたが、逆に言えば双方の中心地から遠く、どちらにも染まらない半独立の国でした。

 

301年、アルメニア国王ティリダテス3世は洗礼を受け、キリスト教を世界で初めて王国の国教としました。アルメニアはこの後もヨーロッパと西アジアの大帝国により次々と征服されますが、キリスト教(アルメニア教会)はその都度住民の支えとなり、現在まで続いています。

 

またキリスト教はアフリカにも伝わっていました。現在のエチオピアにあったアクスム王国は、4世紀半ばエザナ王の時代にキリスト教を受け入れ、現在まで続くエチオピア教会の端緒を開きました。これに前後してアクスム王国は、北隣のメロエ王国(現スーダン)や紅海を挟んだ対岸のヒムヤル王国(現イエメン)を支配下に組み込む、東アフリカ随一の大国となります。

ヨーロッパ

ローマがキリスト教を受け入れたのは、313年コンスタンティヌス大帝の時代です。彼は事実上4つに分かれた帝国を久々に統一した有能な人物でしたが、その際利用したのがキリスト教だったといわれています。旧来迫害の対象だった彼らを逆に取り込み、支持を得たのです。

 

こうしてローマの統一には成功しましたが、無論皇帝の考えに反対する人々もいました。コンスタンティヌスはこの後、帝国の都をビザンティウムに移しました。皇帝の名を採って改められた名はコンスタンティノープル、現在のイスタンブールです。ここはジアヨーロッパ地中海黒海の接点にあたる、交易の上で極めて重要な地です。

王都移転参照

https://satoru-world.net/2020/03/21/capital-12/

 

彼はローマに残る保守層を見限り、多様な人、モノ、そして思想が行き交うコンスタンティノープルで帝国の立て直しを図ったのです。更に379年即位したテオドシウス帝は、ローマの伝統的な多神教を捨て、4世紀末ついにキリスト教を国教化しました。これがローマカトリックで、帝都コンスタンティノープルやローマを始め、帝国内各地にキリスト教の大本山が作られます。

 

しかしこのような政策はローマ帝国再建には若干遅すぎた感がありました。395年テオドシウス帝が没するとまたもや帝国が分裂。この後ローマが再統一されることはありませんでした。

南アジア

インドではクシャーナ朝が衰退し、代わりにグプタ朝が大国化します。ガンジス流域に築かれたこの王朝は、沿岸部を支配下に組み込むと、従来のインド王朝同様、交易の中継地として栄えました。

 

文化面ではサンスクリット語による文学が多数作られ、カーリダーサなど優れた作家が出現しました。中国の仏僧法顕ほっけんがインドへ向かって出発したのも4世紀末のことです。

中国

その中国では、3世紀末に西晋で起こった内戦(八王の乱)により、せっかくの統一が破られ、再び群雄割拠の状態に陥ります。内戦時、中国の北方にいた遊牧民が傭兵として起用されましたが、その後も彼らは中国本土に居座ることに。

 

こうして中国北部では、遊牧民による短命な王朝が興亡を繰り返す戦乱期を迎えました。5つの主要な部族が、16もの国を成立させたことから、五胡十六国時代と呼ばれています。他方、中国南部では西晋の生き残りが東晋を建て、中国南北朝時代がここに始まります。

政治的にはこのように流動的な中国社会でしたが、文化面でも大きな変化が起こります。それが仏教の広まりでした。インド生まれのこの宗教がシルクロードを通って中国にやってきます。中国に1000近くの寺院を建設した僧侶仏図澄ぶっとちょうや、多くの経典を漢語に翻訳した鳩摩羅什くまらじゅうも、この時代に活躍した人物です。

朝鮮半島・日本・アメリカ大陸

朝鮮半島では、三韓の勢力から百済新羅が抜きん出て大きくなり、北方の高句麗と合わせて三国時代を迎えます。中でも征服地各地に碑文を遺した、高句麗の広開土王こうかいどおうはよく知られています。日本のことは資料が少なく不明点が多いのですが、この頃古墳が各地で造られるようになりました。

 

中米ではこの頃マヤ文明が隆盛し、コパンティカルといった大都市が発展したと考えられています。

<主な出来事>

301 アルメニア王国、キリスト教受容(コーカサス)

313 ミラノ勅令 コンスタンティヌス帝、キリスト教公認(ローマ帝国) 

313  高句麗、中国の楽浪郡を滅ぼす(朝鮮)

316 永嘉の乱 西晋滅亡(中国)

320 グプタ朝成立(インド)

325 ニケーア公会議 キリスト教の正統派がアタナシウス派と決まる

330 ローマ帝国の首都 コンスタンティノープルに遷る(ローマ帝国)

350 エチオピアのアクスム王国、スーダンのメロエ王国を滅ぼす(東アフリカ)

375 フン族侵入 ゲルマン民族の大移動始まる(ヨーロッパ)

376 チャンドラグプタ2世即位(インド)

384 百済に仏教伝来(朝鮮)

395 テオドシウス帝死去 ローマ完全に分裂(ローマ帝国)


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