世界地理・世界史の謎

ソウルに漢字表記がないのはなぜ?

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 韓国は中国や日本と同様、長く漢字を用いてきた国の一つです。そのため人名や地名も、その多くを漢字であらわすことができます。

 

例えばスケート選手のキム・ヨナさんは「金妍兒」、韓流ブームの火付け役となった俳優ペ・ヨンジュンさんは「裵勇浚」と書くそうです(い、意外と難しい字・・・)。

 

同様に韓国第2の都市プサンは「釜山」、冬季オリンピックの開かれたピョンチャンは「平昌」のように、多くの地名もまた漢字で表記できます。ちなみに北朝鮮の首都ピョンヤンも「平壌」です。

 

しかし肝心の首都ソウルには漢字表記はありません。これはなぜなのか?まずは朝鮮半島の歴史から見てみましょう。

古代の朝鮮半島

韓国、北朝鮮を含む朝鮮半島には、中国に近い北部を中心とした王朝が、遅くとも紀元前2世紀頃には成立していました。これを古朝鮮といいます。

 

古朝鮮は後に中国の漢によって征服されてしまいますが、紀元前1世紀頃にはその一部が漢の支配を脱し新しい国を建設します。高句麗こうくりという国です。漢滅亡後の4世紀、高句麗は中国の残った勢力を半島から追い出し、大国化していきました。

一方朝鮮半島南部では韓族という人々が暮らしており、やはり4世紀頃大きく二つの国へとまとまっていきます。百済くだら新羅しらぎです。

 

百済は後に日本へ仏教を伝えた国としても知られていますが、実はこの国の最初の都が後のソウルとなる漢城でした。以後朝鮮半島では、高句麗、百済、新羅が相争う三国時代が続きます。

 

その中で漢城(ソウル)は、5世紀に高句麗が奪い、6世紀に百済が奪い返したと思ったら、直後に新羅に横取りされる、など目まぐるしく支配者が代わっていきました。

新羅、高麗の元で・・・

7世紀、三国統一に成功したのは新羅でした。新羅の都は、慶州キョンジュ(世界遺産仏国寺の所在地として有名)に置かれ、漢城はこの頃から漢陽と改名されました。

 

この新羅を10世紀に倒したのが、王建ワンゴンという人物で、彼は高句麗を再建するという意味を込めて、高麗こうらいという名の国を建てました。確かに高句麗に通ずる国名ですね。

高麗の都は開城ケソン(現在、北朝鮮第2の都市)に置かれましたが、漢陽もまた、副王都として重要な役割を持つようになりました。そのためこの都市は高麗時代、南京とも呼ばれました。

 

また、高麗は13世紀モンゴル帝国の攻撃を受けますが、王族は降伏するまでの数年間、開城から沖合の江華島こうかとうに逃れて抵抗を続けました。

ついに首都に

ソウルが正式に朝鮮半島の中心となるのは、1392年成立した朝鮮王朝李氏朝鮮)の時代からです。モンゴル撤退後も内紛で混乱していた高麗に代わり、軍人の李成桂イ・ ソンゲが新たに建てたのがこの王朝でした。

 

ソウルは東京や北京と比べても山がちで、防衛上有利な地形でした。加えて地理的にも南北に偏らないバランスの良い場所に位置しており、1394年、朝鮮王朝の都として選出、再び漢城と改名されます。

 

朝鮮王朝はこの後、第4代国王、世宗セジョンによるハングルの考案や、李栗谷イ・ユルゴク李退渓イ・テゲらによる朱子学の発達といった文化を開花させ、一方では豊臣秀吉軍の侵攻やの圧力、両班ヤンバン(朝鮮の官僚)同士の内紛などに悩まされながらも実に500年に渡って存続。漢城は名実ともに王朝の中心となっていきます。

 

植民地と分断の中で・・・

しかし1910年、当時帝国主義政策を打ち出していた日本に併合され、韓国(併合の少し前に朝鮮から大韓帝国に改名)の独立は失われます。

 

日本統治の元、漢城からまたも改名され京城となりましたが、日本政府により植民地政府の拠点が置かれるなど、その後も朝鮮半島の中心であり続けます。

 

日本との同化政策が進められる中、逆に韓族の歴史や文化を重んじることで、その支配に抵抗する人々も出現していきます。1919年の三一独立運動は中でも大規模なものでした。この運動を率いた一人、柳寛順ユ・グワンスンは、家族を失いながらも信念を曲げず、日本政府による拷問の末、短い生涯を終えました。

柳寛順

1945年第二次世界大戦における日本の敗北により、朝鮮半島はその支配から脱却。戦勝国となった米ソの占領を経て、1948年に独立しました。

 

ただし、この時アメリカ寄りの李承晩イ・スンマン政府と、ソ連寄りの金日成キム・イルソン政府がそれぞれ「自分こそが正式な政府だ!」と譲らず、この地域には韓国と北朝鮮という2つの国が成立してしまいます。

 

1950年には両者の統合を狙った朝鮮戦争も勃発、100万を超す犠牲が出ました。2019年現在、未だ両国の正式な和解は実現していません。

ソウルが漢字で書けないワケ

さて、1948年の建国時、両国の境界線は北緯38度と定められたため、それより南に位置していた京城は韓国の首都となります。その際、新しい国の門出として京城の名も変更されることになりました。

 

新都市名は、古代新羅語で「都」を意味する「ソラボル」を転じたソウルとなりました。これは日本や中国とは異なる「韓族」独自の歴史があることをアピールしたもの、とも言えるでしょう。

 

古代新羅語は漢字が導入される前の時代の言葉なので、ソウルにも漢字表記はないのです。朝鮮戦争後、ソウルは工業化を成功させ、1988年にはオリンピックを開催するなど、世界的な大都市へと成長。現在の人口は900万人を超えます。

現在の韓国

 

以上、ソウル及び朝鮮半島の歴史をざっと見てきましたが、この都市の名はここで紹介しただけでも、

「漢城」→「漢陽」→「南京」→「漢城」→「京城」→「ソウル」

と何度も変更されていうことが分かります。

 

とはいえ、市内を流れる川は「漢江ハンガン」、ソウルと釜山を結ぶ鉄道路線は「京釜線」、といったように、かつての都市名を留めるものは、あちこちに残っています。

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