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5世紀~世界を揺るがした遊牧民族~

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5世紀の世界

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5世紀はユーラシアの東西で遊牧民が存在感を放った時代でした。西のフン族、中央アジアのエフタル、東の鮮卑せんぴといった、農耕民には”野蛮人”として扱われることが多かった人々です。

彼らはを武器に、農業で富を成した今までの王朝に挑戦を始めます。そして、これら新勢力の進出に押し出される形で、別の民族も移動を開始する・・・新たな時代を予感させる大きな変化をもたらしました。

東アジア

 中国北朝では五胡十六時代が終わりを告げ、北魏太武帝たいぶていが中国北部を統一します。この北魏王朝を開いた拓跋たくばつも元は遊牧民である鮮卑字せんぴの一派でしたが、中国文化に触れるにつれ、馬を降りて定住生活を受け入れていきました。そのため太武帝は中国人(漢人)の官僚を多数起用しましたが、その中には道教を大成した寇謙之こうけんしもいました。

 471年即位した孝文帝こうぶんていしは更に漢人の言葉、風習、服装などを取り入れる、漢化政策、つまり漢人への同化を進めます。土地に関しては、戸籍を調査し、それに応じて土地を与え、税を得る均田制、三長制が採られました。

 モンゴル平原では鮮卑が南へ移動したため、これに代わって柔然じゅうぜんという遊牧民国家が成立しました。

 

 中国北部が”異民族”の統治下に入ったため、中国文化の中心は南朝に移りました。中国南部では4世紀の東晋から6世紀のにかけて5つの王朝が興亡しますが、いずれの時代でも優れた中国文化が花開きました。この5王朝にに三国時代のを加えた6つの王朝を六朝と呼び、その文化を六朝文化と呼びます。5世紀に活躍した文化人としては、詩人陶淵明とうえんめいなどが有名です。

 朝鮮半島では、百済高句麗の激突が本格化します。高句麗の領域を大きく拡大した広開土王クワンゲトワン。413年に彼を継いだ長寿王チャンスワンは、前王の業績を称える「広開土王碑」を建てました。また高句麗の王都が平壌に遷ったのも、彼の時代です。

 475年、長寿王率いる高句麗の軍は、百済の首都漢城(現ソウル)を征服、当時の百済を治めていた蓋鹵王ケロワン王を戦死させるなど大打撃を与えました。この結果百済は南部の熊津に王都を遷し、再起を図ります。なお、長寿王は491年に97歳の天寿を全うしたといいます。長寿王という名前は、死後付けられたものですが、それにしても本当に長寿…

 この頃日本はまだ統一には程遠い状況でしたが、いわゆる「倭の五王」が続々と中国に使いを送りました。

南アジア・西アジア

 インドではグプタ朝が、チャンドラグプタ2世の元で最盛期を迎えます。彼の時代、新しい仏教美術が開花し、アジャンター寺院などインド各地の宗教施設を彩りました。またヒンドゥー教が大きく拡大したのもこの頃で、ヒンドゥー教や仏教は、新興国が生まれつつあった東南アジアも伝わりました。

 

 しかしチャンドラグプタ没後の5世紀後半には、遊牧民エフタルがインドにも侵入し、交易路を断たれたグプタ朝は衰退を始めます。エフタルは西アジアのササン朝ペルシャ帝国の王位継承を左右するなど、後の歴史にも大きな影響を与えていますが、当時を知る資料が少なく、その実態は多くの謎に包まれています。

ヨーロッパ

 同様に謎の多い民族が、ヨーロッパに進出した遊牧民フン族でした。この大王アッティラの名は、当時のヨーロッパ人を恐怖に陥れた人物としてよく知られています。4世紀末から5世紀にかけ、フン族がヨーロッパを荒らしまわったことで、そこに暮らしていたゲルマン系民族は移住を余儀なくされ、ゴートフランクヴァンダルブルグンドといったゲルマン系民族の王国が各地に成立。そのいくつかは、西ローマ帝国にも度々侵入し、都市ローマも破壊や略奪にさらされました。

 一連の動きに翻弄され弱体化していた西ローマ帝国の皇帝は、476年、ゲルマン系軍人オドアケルの攻撃で退位に追い込まれます。こうして西ローマ帝国は、分裂後100年と経たずに滅亡しました。代わって、西ヨーロッパを支配したフランク族クローヴィスが、頭角を現していくことになります。

 一方、東ローマ帝国の都コンスタンティノープルでは、テオドシウス2世によって築かれた巨大城壁が異民族の侵入を防ぎました。5世紀後半皇帝となったアナスタシウス1世は、徴税を効率化したことで財政を安定化しました。エジプトやシリアといった、当時豊かな地を抑えられたこともあり、東ローマ帝国は生き残ることが出来ました。

 

 ゲルマン民族大移動のきっかけを作ったフン族は、一説にはかつての中国(漢)を脅かした匈奴きょうどの子孫ではないかともいわれています。それが本当なら、彼らはユーラシア内陸の草原地帯を駆け抜け、はるばるヨーロッパまでやって来たことになります。東洋史と西洋史はやはり様々な局面で繋がっていることを実感させられる出来事といえます。

~主な出来事~

402 柔然の君主社崙モンゴル高原に台頭(東アジア)

409 イベリア半島にヴァンダル人、スエヴィ人、アラン人侵入(スペイン)

413 (倭の五王の一人)。東晋に使者派遣(日本・中国)

415 チャンドラグプタ2世没(インド)

420 南朝に宋王朝成立~479(中国)

426 キニチ・ヤシュ・クック・モコパン王に即位(中央アメリカ・マヤ文明)

427 高句麗長寿王平壌に遷都(朝鮮半島)

429 ガイセリックヴァンダル王国建国(北アフリカ)

431 エフェソス公会議 キリスト教諸派の内、ネストリウス派が異端とされる(ヨーロッパ)

439 北魏太武帝、五胡十六国時代を統一(中国)

443 ブルグンド王国成立(ヨーロッパ)

450頃 遊牧民エフタル、グプタ朝へ侵攻(インド)

451 アッティラ率いるフン族西ローマ帝国蹂躙、カタラウヌムの戦いで撃退(ヨーロッパ)

451 カルケドン公会議 キリスト教諸派の内、単性論派が異端とされる(ヨーロッパ)

471 北魏孝文帝即位。漢民族の文化吸収し、同化政策実行~499(中国)

473 カッサパ1世即位~495 シーギリヤ王宮建設(スリランカ)

475 長寿王、百済の漢城を占領(朝鮮半島)

476 オドアケルにより西ローマ帝国滅亡(ヨーロッパ)

481 クローヴィスフランク王国建設(ヨーロッパ)

493 テオドリック、イタリアに東ゴート王国建国(ヨーロッパ)

5世紀(年代不明)

   聖パトリック、アイルランドにキリスト教布教開始

   スーダン諸国にキリスト教広まる(アフリカ)

   バントゥー系の人々、アフリカ南部にまで拡大

   北欧、民族移動期に入る


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