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3世紀~三国志と邪馬台国~

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東アジア

 3世紀は新勢力の勃興が相次いだ時期でした。黄巾の乱で混乱したでは、曹操そうそう)を始めとする実力者が出現します。彼に対抗したのが、劉備りゅうび孫権そんけん)といった面々。かの有名な三国志の時代が到来します。

 三国志のハイライト、赤壁せきへきの戦いでは曹操軍が敗れますが、間もなく彼は勢いを取り戻し、彼の息子、曹丕そうひは220年自ら皇帝に即位。前後併せて400年続いたは遂に滅びます。

 

魏は劉備亡き後の蜀も263年に滅ぼして中国北部を制圧します。しかし下剋上真っ盛りなこの時代、魏も265年に西晋司馬炎しばえんに取って代わられます。西晋は280年呉を滅ぼして一時的に中国統一を成し遂げますが、3世紀末に八王はちおうの乱が起こるなど、この繁栄も長くは続きませんでした。

朝鮮半島・日本

 朝鮮半島では、漢滅亡を機に北部の高句麗こうくりが強大化していきます。一方南部では「韓族」という人々が暮らしていましたが、彼らはこの時期、馬韓ばかん弁韓べんかん辰韓しんかんの3集団に大別されていました。これらが後の百済くだら新羅しらぎへと発展していくことになります。

日本にはかつて後漢に使者を送った王がいましたが、この時代にも魏へ使者を送る国がありました。その代表的な国が邪馬台国です。その女王卑弥呼は強大な魏と結ぶことで、周囲の国をまとめたとされています。彼女の存在は、邪馬台国の位置を含めて今も謎多き人物ですが、これは当時まだ日本に文字がなく、詳細を語る資料が中国の文書(卑弥呼の場合は魏志倭人伝)に限られているからです。

西アジア

 中東では224年に再び大帝国が出現します。ササン朝です。アルダシール1世によって開かれたこの王朝は、パルティア王国を倒し、ペルシャ 人の王朝を復活させました。次いで241年即位したシャープール1世はインド北部のクシャーナ朝に牙を剝き、この王朝を衰退させました。西方ではローマ帝国と国境をめぐって度々交戦。260年シャープール1世は、現在のトルコにて、前線に赴いていたローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕らえました(エデッサの戦い)。

 こうして捕らわれたローマ人の捕虜たちの中には、ササン朝の学問や土木建築の発展に貢献した者も少なくなく、彼らが住んだ都市グンデシャープール(現イラン南西部)には、病院や図書館など学問に関連する施設も多数建設されました。

 ササン朝では、火を崇拝し、善の神と悪の神との対決を説くゾロアスター教が中心的な宗教となっていきます。一方でキリスト教仏教もササン朝に少しずつ入っていきました。3世紀半ば、これらの教えをミックスした新宗教、マニ教が興りました。開祖のマニは、ゾロアスター教的な二元論(善と悪、光と闇など)を軸とした教義を唱え、マニの死後、ヨーロッパから中国まで広がっていきます。

 アラビア半島南部、現在のイエメンでは、紅海を経由したローマ帝国やエジプトとの貿易(乳香や香辛料)で繁栄しており、その主導権をめぐって、ヒムヤル王国、サバ王国、ハドラマウト王国の3勢力が紀元前からずっと相争っていました。

 3世紀の末、ヒムヤル王国のシャンマル王は、紅海を挟んだエチオピアのアクスム王国と手を組み、強大化。この結果サバ、ハドラマウトは併合され、イエメンの地は統一されました。

ヨーロッパ

 西のローマ帝国でも新たな局面を迎えます。212年カラカラ帝はローマ市民権を帝国内の全住民にも与えました。法律上対等となったことで、地方の属州の内、主に経済面で成功していた地域は、中心地ローマから自立の動きを見せ始めます。

 224年にササン朝ペルシャ帝国が成立し、この新興勢力がローマへ攻撃を繰り返すようになると、ローマ内部では軍人の発言権が増し、皇帝の座をも左右するようになります。これがいわゆる軍人皇帝時代で、短命な皇帝が次々と生まれては暗殺あるいは戦死により消えていきました。

 中央の不安定化に乗じ、属州の中にはローマからの独立を宣言する者も出現。西方ではガリア帝国(現フランス)が、東方ではパルミラ王国(現シリア)が出現します。特にパルミラの女王、ゼノビアは現在のトルコやエジプトを征服し、強大なローマ軍に対して一歩も引かない態度を見せたことで知られています。

 結局これらの”独立国”は、3世紀末にローマが安定を取り戻すと、間もなく押し潰されてしまいますが、一連の動きは広大なローマがもはや一枚岩ではなくなったことを物語っていました。284年に即位したディオクレティアヌスは国内を4つに分割し、2人の皇帝、2人の副帝を置いて、各方面ににらみを利かせました(テトラルキア)。

これによりローマはようやく不安定な軍人皇帝時代を終わらせることができました。しかし、帝国を4つに分けたことで、この巨大国家はこの後、何度も分裂の危機に陥ることとなります。

~~主な出来事~~

208 赤壁の戦い(中国)

212 カラカラ帝、ローマ全土に市民権を拡大(ローマ帝国)

224 アルダシール1世 ササン朝ペルシャ興す(西アジア)

239 邪馬台国卑弥呼、魏に使いを送る(日本)

250頃 ササン朝、北インドに侵攻。クシャーナ朝解体(インド)

3世紀半ば マヤに大都市興る(中央アメリカ)

245頃 マニ教開かれる(西アジア)

260 ササン朝シャープール1世、ローマ軍人皇帝ヴァレリアヌスを捕縛(西アジア)

263 を滅ぼす(中国)

265 西晋、魏から帝位奪う(中国)

273 パルミラ王国滅亡(西アジア)

280 西晋を滅ぼし中国統一(中国)

291 八王の乱~306(中国)

293 ディオクレティアヌス、四分統治を開始(ローマ帝国)


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