3世紀~三国志と邪馬台国~

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もくじ
東アジア
3世紀は新勢力の勃興が相次いだ時期でした。黄巾の乱で混乱した漢では、曹操(魏)を始めとする実力者が出現します。彼に対抗したのが、劉備(蜀)、孫権(呉)といった面々。かの有名な三国志の時代が到来します。
三国志のハイライト、赤壁の戦いでは曹操軍が敗れますが、彼の息子、曹丕が正式に開いた魏王朝は勢いを取り戻し、220年自ら皇帝に即位。前後併せて400年続いた漢は遂に滅びます。
魏は後に蜀も滅ぼして中国北部を制圧します。しかし下剋上真っ盛りなこの時代、魏も265年に司馬炎の晋(西晋)に取って代わられます。西晋は3世紀後半に呉も滅ぼして一時的に中国統一を成し遂げますが、3世紀末に八王の乱が起こるなど、この繁栄も長くは続きませんでした。
朝鮮半島・日本
朝鮮半島では、漢滅亡を機に北部の高句麗が大きくなります。一方南部では「韓族」という人々が暮らしていましたが、この頃、馬韓、弁韓、辰韓、の3勢力にまとまっていきました。これらが後の百済や新羅へと発展していくことになります。
日本では漢に引き続き、魏へも使者を送る国が出現しました。その代表的な国が邪馬台国です。その女王卑弥呼は、その実在を含め、今も謎多き人物ですが、これは当時まだ日本に文字がなく、詳細を語る資料が中国の文書(魏志倭人伝など)に限られているからです。
ヨーロッパと西アジア
西のローマ帝国でも新たな局面を迎えます。212年カラカラ帝はローマ市民権を帝国内の全住民にも与えました。法律上対等となったことで、地方の属州の内、主に経済面で成功していた地域は、中心地ローマから自立の動きを見せ始めます。
一方224年には、中東に再び大帝国が出現します。ササン朝ペルシャ帝国です。この新興勢力がローマへ攻撃を繰り返す中、ローマ内部では軍人の発言権が増し、皇帝の座をも左右するようになります。これがいわゆる軍人皇帝時代で、様々な思惑が行き交う中、短命な皇帝が次々と生まれては暗殺あるいは戦死により消えていきました。
中央の不安定化に乗じ、属州の中にはローマからの独立を宣言する者も出現。西方ではガリア帝国(現フランス)が、東方ではパルミラ王国(現シリア周辺)が出現します。特にパルミラの女王、ゼノビアは現在のトルコやエジプを征服し、巨大なローマ軍に対して一歩も引かない態度を見せたことで知られています。
結局これらの”独立国”は、3世紀末にローマが安定を取り戻した(軍人皇帝時代が終わった)後、押し潰されてしまいますが、一連の動きは広大なローマがもはや一枚岩ではなくなったことを物語っています。そしてこの大帝国もまた、一足先に瓦解した漢王朝と同じ運命をたどることになります。
なお、ササン朝は、東方インドのクシャーナ朝にも牙を剝き、この王朝を衰退させました。
~~主な出来事~~
208 赤壁の戦い(中国)
212 カラカラ帝、ローマ全土に市民権を拡大(ローマ帝国)
224 アルダシール1世 ササン朝ペルシャを興す(西アジア)
239 邪馬台国の卑弥呼、魏に使いを送る(日本)
250頃 ササン朝、北インドに侵攻。クシャーナ朝解体(インド)
3世紀半ば マヤに大都市興る(中央アメリカ)
245頃 マニ教開かれる(西アジア)
260 ササン朝シャープール1世、ローマ軍人皇帝ヴァレリアヌスを捕縛(西アジア)
263 魏が蜀を滅ぼす(中国)
265 西晋、魏から帝位奪う(中国)
273 パルミラ王国滅亡(西アジア)
280 西晋、呉を滅ぼし中国統一(中国)
291 八王の乱~306(中国)
293 ディオクレティアヌス、四分統治を開始(ローマ帝国)
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