世界地理・世界史の謎

イスラエルとパレスティナ、エルサレムの関係は?

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2018年、アメリカのトランプ大統領が「エルサレムをイスラエルの首都」とし、アメリカ大使館をここに移転すると宣言しました。これに、イスラエル周辺のアラブ諸国が抗議し、関係がギクシャクしています。

しかし日本の地図帳を開くと、最初からイスラエルの首都はエルサレムとされています。今さら「エルサレムは首都」と宣言して、なぜ問題が生じたのでしょうか。

中東の孤島イスラエル

ニュースを見る人ならイスラエルの名前はよく聞くかもしれません。その位置は中東(西アジア)にあります。国旗に「ダヴィデの星」が描かれているように、この国にはユダヤ教徒、つまりユダヤ人が多く住んでいます。

しかし周囲を見ると、西にエジプト、東にヨルダン、南にサウジアラビアと、アラブ人やイスラム教徒が多数を占める国が目立ちます。

中東とイスラエル

これはちょっと不自然な感じがします。それもそのはず。イスラエルの地にユダヤ人が多数住むようになったのは、実は20世紀に入ってからなのです。ユダヤ人はなぜ中東に来たのか。それ以前はどこにいたのか。長い歴史を持つユダヤ人、エルサレムの歴史と共に、その謎を解き明かしていきましょう。

ユダヤ人の始まり

ユダヤ人の歴史は古く、今から3000年以上前にモーゼ(海を割ってエジプトから脱出した人)に率いられた集団がユダヤ教を始めたと言われています(いわゆる「十戒」)。

 

彼らは紀元前10世紀ころパレスティナに移住し、ここに王朝を建てました。イスラエル王国です。イスラエルとは、ユダヤ人の創世記神話に登場する英雄が、神から貰った名前に由来します。一方パレスティナとはこの時期ユダヤ人と戦った「ペリシテ人」に由来します。

モーゼの出エジプト

古代イスラエル王国においては、紀元前10世紀に王国を統一したダヴィデ王や、神殿を建設したソロモン王の名はよく知られていますが、その後王国は南北に分裂し、やがて北部イスラエル王国はアッシリア帝国に、南部のユダ王国は新バビロニア王国によって滅ぼされます。

 

後者の事件はバビロン捕囚と呼ばれ、多くのユダヤ人が王都バビロンに連れていかれました。その新バビロニアは紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人達もパレスティナに戻りますが、他国による支配は長きに渡り続くことになります。

ディアスポラ(離散)

紀元前1世期にはローマの支配下に入ります。このローマ時代にパレスティナで産まれたのがイエス・キリストです。ご存知キリスト教の開祖ですが、彼の教えがユダヤ教を批判するものだったため、彼はユダヤ人によって処刑されました。このことが後に、ユダヤ人がキリスト教徒から白い目で見られる原因のひとつになります。

 

この紀元1世紀半ば、ユダヤ人はローマの圧政に対し反乱を起こしますが鎮圧され、ユダヤ教の神殿も破壊されてしまいました。なお、この時に破壊されず残った神殿の西壁は、現在嘆きの壁と呼ばれ、ユダヤ人の聖地となっていきます。

ユダヤ人の反乱

ローマへの反乱は紀元2世紀も起きますが、この時も失敗し、遂にユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁じられてしまいました(立ち入りが許されるのは4世紀以降)。

 

そこで彼らは新天地を求めパレスティナから離散するようになります。いわゆるディアスポラです。彼らの行き先はアラビア半島、北アフリカ、ヨーロッパと様々でしたが、中でもヨーロッパに住むユダヤ人の運命は過酷でした。

差別と偏見

ローマ滅亡後の混乱した時代、ヨーロッパ人の多くはキリスト教を生活の支えにしていました。一方のユダヤ人も各地に強力なコミュニティやネットワークを持って、自身の生活や文化を維持していましたが、これはキリスト教徒にとっては奇異に写り、様々な差別や偏見にさらされるようになります。例を挙げれば、まだ科学が発達していなかった頃、疫病飢饉が生じた際には、それがユダヤ人の起こしたものとされました。

 

また、真っ当な職を得ることも難しく、ユダヤ人は当時”いやしい”とされた金融業などに従事するようになります。現在でもユダヤ人系の富豪が多いのはこのためです。そのキリスト教徒にとっても、イエスが処刑されたエルサレムは重要な聖地であり、11世紀~13世紀に十字軍遠征が行われたのも「イスラムに奪われた聖地エルサレムを取り戻す」という動機からでした。

イスラムと聖地

7世紀になると中東でイスラム教が成立。このイスラム帝国によりパレスティナも征服されてしまいます。中東各地のユダヤ人もイスラムの征服を受け、一部はユダヤからイスラムへ改宗する者も出ましたが、かといって必ずしも全員が改宗を強いられたわけではありませんでした。

 

実はイスラムの王朝は他宗教に寛容で、一定の税金(ジズヤと呼ばれています)を払えば、異教徒でもそこでの生活を許されました。これは、メソポタミア文明の時代から様々な民族や文化が入り混じる中東を治める為にも必要なことだったのでしょう。そのため、8世紀から15世期までイスラムの王朝下にあったイベリア半島(現スペインなど)では、キリスト系王朝に支配が移った途端、迫害され、亡命を余儀なくされるユダヤ人が出たほどでした。

レコンキスタの結末

なお、イスラム教徒の間にも、開祖ムハンマドがエルサレムから飛び立って神(アッラー)に出会ったという伝承があり、エルサレムはイスラムの聖地にもなりました。このためこの都市にはユダヤ、キリスト、イスラムの各教徒が住む複雑な街となっていきます。

無論、三者が対立することはしばしばあったでしょうが、長い時間、エルサレムではこれらの信者が共存していたのです。

シオニズム運動

さて19世紀に入り、ヨーロッパで民族主義が台頭してくると、ユダヤ人でも自分の国を持ちたいという動きが出てきます。つまり「自分の国を持たないから、ユダヤ人は行く先々で差別を受けるのだ」という考えです。ならば祖先のふるさと、パレスティナの地に再び自身の国を作ろう!という運動が展開され、実行に移されます。これをシオニズム運動といいます。

シオニズム運動

しかし当時のパレスティナはオスマン帝国の支配下で、多くの住民がアラブ人となっていました。そこに宗教も文化も言葉も異なるユダヤ人が多数入植してくるようになります。最初は彼らを受け入れていたアラブ人も、次第にその数が増えて来ると彼らに難色を示し、両者が衝突するようになっていきます。

イギリスのもとで

20世紀に入り、第一次世界大戦が勃発しました。オスマン帝国と敵対するイギリスは軍事資金を集めるべく、ユダヤ人の富豪に資金提供を頼み、その見返りに、オスマン領であるパレスティナに「ユダヤ人の国」を作ることを約束しました。

 

更に戦争のさなかロシアでは革命が起き、ソヴィエト連邦が成立します。革命の中、国内のユダヤ人は危険分子とされ、多くの人々が虐殺されました(ポグロム)。虐殺を逃れるべく、ユダヤ人はパレスティナに更に移住していきます。戦争が終わると、イギリスは約束を破ってパレスティナを占領し、移住を管理するようになります。

 

すでにこの地ではアラブ人との衝突が引っ切り無しに起きており、治安維持の為にイギリスは、やむをえずユダヤ人の入植を一時制限しました。行き場を失った彼らの多くは、アメリカに移住してゆくようになります。

ホロコースト

1930年代、ドイツでヒトラー政権が発足すると、彼の強烈な民族意識から、ユダヤ人に対する攻撃が激しくなります。

 

1939年第二次世界大戦が勃発し、ドイツがヨーロッパ各地を占領すると、その地に残っていたユダヤ人も次々に収容所に入れられ、強制労働の末、殺害されました。ホロコーストです。あのアンネ・フランクも、このホロコーストの犠牲になりました。こうした地獄のような状況下、国際世論はユダヤ人に対し同情的になってゆきます。 悲劇

イスラエル建国と中東戦争

1945年世界大戦は終結。先の世論の後押しもあり、1948年、ついにイスラエル国が建国されます。その建国を強烈に支援したのは、アメリカでした。

 

大戦でボロボロになったイギリスはパレスティナの統治を諦めており、一方のアメリカには、移民による巨大なユダヤ人コミュニティができていました。大統領も選挙に勝つためには、この集団を意識せざるを得ません。これが現在までアメリカがイスラエルを支援する背景になっています。

 

他方、パレスティナに住むアラブ人たちはイスラエル建国に猛反発。エジプトなど周囲のアラブ諸国も巻き込んだ中東戦争が勃発します。

第一次中東戦争

ところがアメリカのバックがあるという強みはイスラエルに勝利をもたらしました。その後気をよくしたイスラエル政府は、国内のアラブ人(パレスティナ人)に対し風当たりを強くしていきます。

つまり彼らを様々な手段で弾圧、追放したのです。この結果多くのパレスティナ人が難民となりました。かつてユダヤ人が受けた迫害を、今度はアラブ人に行っているというのは、皮肉と言えるでしょう。

パレスティナのアラブ人

1960年代にはパレスティナ解放機構(PLO)が設立され、アラブ人の自治を求める動きも活発になっていきますが、なかなか妥協点が見つからないのが現状のようです。現在ではヨルダン川西岸地区と、ガザを中心としたわずかな領域にアラブ人の自治が認められていますが、現実にはこの地域にもイスラエル政府は圧力をかけているようです。

オスロ合意

一方で、パレスティナ政府がイスラエルと別に国際機関に加盟したり、独自にオリンピック選手団を送ったりと、独立国家として扱われる機会も少しずつ増えており、今後の動向が注目されています。

三宗教の聖地エルサレム

ユダヤ、キリスト、イスラムにとって大切な街であるエルサレム。それをユダヤ人国家イスラエルの首都にすることは、この街をユダヤ人(教徒)が「独り占め」することに繋がります。

 

サウジアラビアなどアラブ人の国の多くは、そもそもイスラエルという国自体を認めておらず、まして自分達にとっても聖地であるエルサレムを、イスラエルの首都とすることなど到底受け入れられないのです。

エルサレム

日本をはじめイスラエルと国交を結んでいる多くの国も、自国の大使館をエルサレムではなく、テルアビブに置いていますが、これもアラブ諸国の反発をかわす目的があります。日本で発行されている地図帳にも、「イスラエルはエルサレムを首都と定めているが、国際的な承認は得ていない」と注意書きがなされているものもあります。

ところがアメリカのトランプ大統領は、身内にユダヤ教徒がいることもあって、イスラエルびいきな所があります。そのため今回のような騒動が起きるきっかけとなりました。

3宗教の微妙なバランスの上に立っているこの街が、安定を続けることができるのか。対立と共存を繰り返してきた長い歴史がその答えを知っているような気もします。

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