世界地理・世界史の謎

1世紀~西のローマ・東の漢・中東のイエス~

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1世紀の世界

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1世紀出現した重要人物としては、イエス・キリストが挙げられます。というより、彼の生まれた年が本来西暦1年と決められたので、当然彼の生きた時代は1世紀となります。(1世紀とは西暦1年から100年までの百年間)。もっとも厳密には彼の生まれた年と西暦との間には若干のズレがあるようですが・・・

中東

イエスが生まれたのは現在のイスラエルで、当時はローマ帝国の支配下にありました。イスラエルといえばユダヤ教の本拠地なわけですが、彼はそのユダヤ教を改革しようとしたため、反対するユダヤ教徒によって処刑されてしまいます。キリスト教はその弟子たちによってローマ帝国や中東へ広まり、やがては世界宗教となっていきます。

しかし当時のローマ帝国は独自の宗教(多神教)を重んじており、一神教のキリスト教は危険な新興宗教として扱われました。そのためキリスト教が受け入れられるまでこの先300年もの長い月日が必要となります。

ゴルゴダの丘

 

ヨーロッパ

さて、そのローマ帝国ですが、1世紀当時はオクタヴィアヌスにより帝政が始まったばかりでした。そのため帝位を巡る争いも頻発しましたが、社会全体を見れば、内乱続きだった紀元前1世紀よりは安定していました。

経済面では、地中海沿岸を丸ごと手にしたことで交易が盛んになり、また属州となった各地から、小麦、ワイン、金といった富がローマにもたらされることになります。逆に属州へはローマ風の文化や風習が伝わり、人々の「ローマ化」が進みました。

東アジア

ユーラシアの東では漢王朝が新たな局面を迎えていました。皇帝一族と血縁関係にあった王莽おうもうという人物が王朝を乗っ取ろうとしたため、中国各地でこれに反対する反乱(赤眉の乱)が起きました。また、この混乱の中、都が長安から洛陽に遷されましたため、以後の漢王朝は後漢と呼ばれています。1世紀後半にはおおむね国内も安定し、また後の時代中国社会の根幹をなす儒教の教えも浸透していきます。

 

日本弥生時代の真っ只中で、各地の”ムラ”が徐々に大型化して、”クニ”へと発展していく途上でした。クニの君主達の中には、虎の威ならぬ「漢の威を借る」者も出現します。彼らは海を渡って後漢へ使いを派遣し、その臣下になることで、皇帝の”お墨付き”を得ようとしました。漢委奴国王かんのわのなのこくおうが漢の皇帝から金印をもらったのは、西暦57年と言われています。

インド・イラン

ローマと後漢という大帝国がユーラシアの東西で安定を見せたことで、両者をつなぐ交易路も発展していきます。インド北部のクシャーナ朝クシャン帝国)やインド南部のサータヴァーハナ朝、現イランのパルティア王国は、東西をつなぐ交易の中継地として栄えました。

アメリカ大陸

アメリカ大陸については不明点が多いのですが、南米では後に地上絵を遺したことで知られるナスカ文化、鮮やかな土器を多数製造したモチェ文化が興りました。中米(メキシコ)でもテオティワカンを中心とした都市文明が出現しています。

~~主な出来事~~

8 王莽、帝位を奪い、新王朝建設(中国)

14 ローマ初代皇帝オクタヴィアヌスアウグストゥス)没(ローマ帝国)

18 赤眉の乱(中国)~25

25 劉秀りゅうしゅう、漢を再建し皇帝に即位(光武帝こうぶてい光)。後漢成立(中国)

30 イエスエルサレムのゴルゴダの丘で処刑される。弟子たちによりキリスト教成立

40 チュン姉妹、漢に対し反乱起こす(ベトナム)~43

48 遊牧民匈奴、南北に分裂(東アジア)

57 漢委奴国王、金印を授かる(日本)

64 ローマ大火 皇帝ネロ、キリスト教徒に罪を着せ弾圧。(ローマ帝国)

79 ヴェスヴィオ火山噴火 ポンペイの街、灰に埋もれ滅ぶ。(ローマ帝国)

80 コロッセオ完成(ローマ帝国)

94 後漢の班超はんちょう西域(現在の新彊ウイグルなど)を服属させる(中国)

96 ネルヴァ帝即位。五賢帝時代始まる(ローマ帝国)

年号不明 中央アジアのクシャーナ朝、北インドに進出  現在のペルーに、ナスカ文化、モチェ文化出現

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