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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

紀元前20世紀~11世紀 ~民族の拡散と移動~

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↑BC20~16世紀頃の世界+主な民族移動

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今回も1千年にわたる歴史・出来事を一挙に書き記そうと思います。

 まず、世界全体の動きについてですが、この1千年の間にも、大きな民族移動が繰り返されました。その中に、現在インド・ヨーロッパ系と総称される集団がいました。彼らの移動は、現在のインド、イラン、トルコ、ヨーロッパと広範囲に及び、これらの地域に大きな影響を与えることになります。

 また、太平洋ではオーストロネシアと呼ばれる人々が、島から島へと拡散していきました。

 一方、BC1200年頃の民族移動は、西アジアから地中海にかけて繁栄していた古代国家に大打撃を与えました。しかしこの事がきっかけで、と並ぶ重要な金属、すなわち「鉄」が世界に広まることとなります。

エジプト(前半)

 BC21世紀に再統一されたエジプトは、テーベを王都とする中王国時代を迎えました。

この時代に、ファラオをトップとする官僚制度が整備され、BC19世紀、アメンエムハト3世の時代に中王国は最盛期を迎えました。この頃は官僚の中でも、文字を扱う「書記」が理想の職業とされ、この頃の文書(粘土板)にも、子供たちに書記を目指すよう促す内容のものも出土しています。

 BC18世紀になると、エジプトの安定は再び失われ、第二中間期と呼ばれる不安定な時代を迎えます。この間に西アジアから、ヒクソスと呼ばれる遊牧民が侵入し、エジプト社会を一時支配下に置きました。これがきかっけでエジプト人の間にも馬が知られるようになり、BC16世紀には、エジプトも騎馬隊を揃えて最終的にヒクソスを打ち負かしました。

 このBC16世紀にエジプトは新王国時代を迎えます。ピラミッドはもう建造されなくなり、ファラオは「王家の谷」という場所に埋葬されました。

メソポタミア(前半)

 シュメール人のウル第三王朝がBC21世紀末に滅亡すると、メソポタミア南部では複数の王国が覇権争いを繰り広げる、戦国時代のような時代を迎えます。イシン・ラルサ時代と呼ばれています(イシンもラルサも王国の名前)。シュメール人の住むメソポタミア最南部は、この後塩害のために農業が振るわなくなり、歴史の主役を張ることも、もはやできなくなりました。

 

 メソポタミア北部ではBC19世紀頃、アッシュールという都市国家が周囲を統一していきました。BC19世紀末に登場したシャムシ・アダド1世の時代、アッシュールは最初の頂点を極めます。彼に服従していた人々の中に、メソポタミア南部にあったバビロンという都市国家の王、ハンムラビがいました。BC18世紀に入り、シャムシ・アダド1世が死去すると、ハンムラビは逆にアッシュールを征服。BC1750年頃までにメソポタミア全域を統一しました。

 こうした背景から後の時代、メソポタミア北部はアッシリア、南部はバビロニアと呼ばれるようになります。特にハンムラビの統治した時代のバビロンは、古バビロニアあるいはバビロン第一王朝と呼ばれます。ハンムラビは支配した地域を法律で統治しようとします。この結果作成されたのが「目には目を歯には歯を」で知られるハンムラビ法典です。

 

 BC17世紀になると、アナトリア地方(現在のトルコ)にインド・ヨーロッパ系のヒッタイト人が王国を建設。BC1595年頃にバビロン第一王朝に攻め込んでこれを滅ぼします。バビロンではその後短い王朝(第二王朝)の後、BC1500年頃にカッシート人の征服を受けました。メソポタミア北部アッシリア地方には、BC17~16世紀頃、フリ人の国ミタンニ王国が成立。こうしてBC15世紀までには、ヒッタイト王国、ミタンニ王国、カッシート王国(バビロン第三王朝)およびエジプト新王国という4つの大国が勢力争いを繰り広げるようになりました。



 

↑BC15~11世紀頃の世界

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エジプト(後半)

 BC15世紀の初めに君臨したファラオ、トトメス3世は西アジアに軍を進め、現在のシリアやパレスティナを征服。更にエジプトの南では、ナイル川上流のヌビア地方(現スーダン)も支配下に置き、エジプトは大国化します。

 

 ところで古代エジプトの宗教は多神教で、オシリス、ラー、アメン、セトといった神が信じられていました。BC15世紀~14世紀は中でも特にアメン・ラー(豊穣の神アメンと太陽の神ラーが融合した神様)が重んじられ、この神を祀る神官たちの力も、エジプトの大国化と共に強まっていきました。一方でファラオは、王国が他の民族を抱えるようになったことで複雑になっていったエジプト社会に対応せねばなりません。改革を迫られるファラオと、伝統を重んじる神官との間に対立が生まれます。

 

 こうした背景から、BC14世紀前半に登場したアメンホテプ4世は、大規模な宗教改革を行いました。彼はアメン・ラーに代わって、それまでマイナーだった日輪の神アテンを「唯一絶対の神」としてあがめ、他の神様を信仰しないように促しました。自分の名前も、アテンの名前を入れて「アクエンアテン・・・」とし、新たな都アマルナも建造して、そこにアテンを祀る神殿を建てました。このようにして、ファラオと対立するアメン神官の力を削ごうとしたのです。この宗教改革は、人々の精神も刺激し、伝統にとらわれない芸術も生まれます(アマルナ美術)。

アマルナ改革

 しかし、あまりにも大胆な改革は当然猛反発を呼び、アクエンアテンが亡くなると改革はすべてご破算になりました。アクエンアテンを継いだトゥトゥアンクアテン・・・王も、名前をトゥトゥアンクアメン・・・に変更させられます。このトゥトゥアンクアメン、日本ではツタンカーメンと呼ばれています。黄金のマスクで知られる、あの王です。

 

 BC14世紀末になると、現在のトルコにあったヒッタイト王国が西アジアで強大化し、エジプトの支配下にあったシリアにもちょっかいを出すように。この頃即位したファラオのラムセス2世は、BC1285年頃にこのヒッタイトと激突します。カデシュの戦いです。しかし両者の決着はつかず、最終的には和平が結ばれました。ラムセス2世はまた、アブシンベル神殿を建造したことでも知られています。

 ラムセス2世は当時としてはかなりの長寿で、60年以上もファラオに君臨し続けました。預言者モーゼがユダヤ人の祖先を連れてエジプトからパレスティナに移り住んだのは、その没後前後(BC13世紀末)のことと言われていますが、どこまでが史実なのかははっきりしていません。

 

 BC12世紀に入ると、新たな民族が侵入し、社会に混乱をもたらしました。エジプトでは海の民と呼ばれています。エジプトではこうした人々をなんとか抑え込むことに成功しますが、後述のように西アジアやギリシャでは多くの国が滅亡に追い込まれました。

 この頃アメン神の神官たちは力を取り戻し、BC11世紀にはエジプトの南部を事実上ファラオの手から奪います。こうしてエジプトの統一はまたしても破られ、第三中間期と呼ばれる分裂の時代を迎えることになります。

メソポタミア(後半)

 ヒッタイト王国は、世界史上初めて本格的に鉄器を使ったことで知られており、せいぜい銅の武器しか持たなかった他の国を圧倒していきます。BC15世紀後半、ヒッタイトに圧迫されたミタンニは、敵対していたエジプトと一転して同盟を結びますが、結局ヒッタイトの攻撃を受け弱体化。BC14世紀には、それまでミタンニの支配下にあったアッシリア王国が独立し、ミタンニはやがて歴史の渦に消えていきました。このアッシリアはカッシート(バビロニア)とメソポタミアの覇権をめぐって争いを続けました。

なお、拡大を続けるヒッタイトとエジプトの間で起こったのが、<エジプト>の項でも触れたカデシュの戦いです。

 

 BC1200年頃、海の民と呼ばれる民族の大移動が起こり、メソポタミア社会に混乱をもたらします。この中でヒッタイトが滅亡し、カッシートも弱体化。現イラン西部に住んでいたエラム人の攻撃を受けて滅びました。アッシリアは滅亡を免れたものの、国力を回復するまで300年もの時間を費やすことになります。

 

 この後、メソポタミア周辺には、アラム人、フェニキア人、ユダヤ人といった新たな集団が登場することになります。このうちエジプトからパレスティナにやって来たユダヤ人は、ヤーウェと呼ばれる唯一神を信じる集団でした。彼らは先住のペリシテ人(パレスティナの語源となった人々)、或いはユダヤ人同士で争いを繰り広げながら、BC1020年頃最初の王国を築いたとされます。これが古代イスラエル王国で、その2代目の王が名君と称されるダヴィデ王でした。ダヴィデはBC1000年頃にユダヤ人をイスラエル王国のもとに統一したと伝えられています。

 また、ヒッタイトが崩壊したことで、この国が独占していた製鉄技術が周囲にも伝わり、西アジアやヨーロッパはここから鉄器時代を迎えることとなります。

イラン

 現在のイランには、エラム人と呼ばれる人々が住んでおり、メソポタミア文明が始まった頃から度々この地域に侵入していました。BC2000年頃になるとエラムの王は、住んでいた都市の名前を採って「アンシャン・スーサの王」と名乗ります。メソポタミアが海の民侵入で混乱していたBC1200年頃、エラムは軍事大国となっており、前述のようにカッシート王国を滅ぼすほどの力を持ちました。

 このエラム人とは別に、中央アジアから徐々にイランへと南下して来たのがインド・ヨーロッパ系の人々で、その一つがペルシャ人でした。

中央アジア・シベリア・モンゴル

 インド・ヨーロッパ系の人々は元々、現在のウクライナからカスピ海北岸、中央アジアにかけて暮らしていたといいます。こうしたユーラシアの内陸部に広がる草原地帯では、牛や馬の家畜化がすでに行われており、こうした動物に引かせる車(馬車の原型みたいなもの)がこの時期出現しています。青銅器も伝わり、武器や装飾品に用いられていました。

 当時の文化としては、カタコンブヤナ文化(黒海沿岸)、アンドロノヴォ文化(中央アジア)、スルブナヤ文化(ロシア、ヴォルガ川流域)、カラスク文化(モンゴル)などが挙げられ、西はメソポタミア、東は中国の古代文明とも繋がっていました。

ギリシャ

 ギリシャで最も早く文明が出現したのは、アテネのある本土ではなく、沖合のクレタ島でした。BC2000年以降クレタ島には、大規模な宮殿が建造されますが、その代表格がクノッソス宮殿です。この宮殿の主については、見つかっている文字(線文字A)が未解読なこともあって、不明な点が少なくありません。しかしこのような大きな建物を造らせたことから、当時の王はエジプトやメソポタミアに影響を受けた、強大な権力者だったと推定されています。これをミノア文明と呼びます。

 

 同じ頃、ギリシャ本土(バルカン半島~ペロポネソス半島)には、インド・ヨーロッパ系の人々が南下してきます。その中には現在のギリシャ語に通じる言葉を話すアカイア人もいました。彼らもまたエジプト、メソポタミアとの交易を通じて力を蓄え、BC16世紀頃にミケーネ文明を築きました。この文明は、小規模な王国の集合体だったと考えられており、線文字Bという文字を使っていました。こちらは20世紀になって解読され、彼らが現在のギリシャ語にも近い言葉を用いていたことがわかっています。

クレタ文明

 ミケーネ文明はBC15世紀頃にクレタ島のミノア文明を支配しました。また、BC13世紀前後にはエーゲ海を挟んだ反対側(現トルコ西海岸部)のトロヤ(トロイ)と間に大規模な戦争があったと考えられています。このトロヤ戦争で用いられたのが、有名な「トロイの木馬」です。

 しかしBC1200年頃、ミケーネ文明は突如として崩壊。混乱の中で線文字Bも使われなくなり、当時の様子を語る遺跡や遺物も激減してしまいます。同時期に西アジアのヒッタイト王国をはじめとする西アジアの国々も滅亡したり社会的な打撃を受けたりしているので、その原因は同じ異民族の侵入ではないかと考えられています。

 この先ギリシャが文化面で復興し、都市国家ポリスが出現するまで300年ほどかかります。この間に鉄が伝わり、農業の発展にも貢献しました。また、トロヤ戦争の記憶はこの時代を生き延び、後に大詩人ホメロスの作品『イリアス』や『オデュッセイア』に記録されました。

ヨーロッパ

 ギリシャ以外のヨーロッパでもこのBC2000年頃から青銅器時代に入ります。

 BC1200年頃には、現在のポーランドからオーストリアにかけての地域に、ラウジッツ文化と呼ばれる青銅器文化が興りました。ただ、その担い手がどのような人々だったのかには諸説あります。

 イベリア半島ではアルメリア文化(銅器)、エル・アルガール文化(青銅器)と呼ばれる文化が興りました。ここでは大きな墓も見つかっており、族長のような権力者がいたことが推測されます。

 一方イギリスでは巨大な石を用いた建造物が多数出現します。その代表格ストーンヘンジもBC1300年頃に建造されたと考えられています。より正確に言えば、数百年という長い年月をかけて段階的に建設が進められ、BC1300年頃現在の形になったというのが通説です。

インド

 インダス川の流域に栄えたインダス文明ですが、BC18世紀頃からモヘンジョダロなどの都市が衰退を始め、BC15世紀までにその栄光は全く過去のものとなってしまいました。つまり人々は都市生活を捨て、伝統的な農村生活に戻ってしまったのです。インダス文明が衰退、崩壊した原因については、環境破壊、気候変動、異民族の侵入などいくつかの説が唱えられていますが、はっきりしたことは分かっていません。

 

 インダス文明が消滅したBC15世紀頃、この地にもインド・ヨーロッパ系の人々が移住して来ます。アーリヤ人と呼ばれる彼らは、インダス川に残っていた先住民を支配下に置いたと考えられており、またインドラ神をはじめとする、後の時代ヒンドゥー教にでも祀られる神々を信仰していました。文化面では、ヴェーダと呼ばれる抒情詩が作られ、中でも『リグ・ヴェーダ』と呼ばれる作品は、当時の様子を語る貴重な資料となっています。

中国・東南アジア

 中国でもBC2000年代までには青銅器が普及しました。伝承ではこの頃の黄河流域に王朝があったとされます。この夏王朝は、BC16世紀にいん王朝に取って代われます。殷は複数のゆう(村とか集落)による連合国家のようなもので、その中心は「しょう」という邑でした。殷では、亀の甲羅や動物の骨を用いた占い(火であぶってそのひび割れで吉凶を占う)が実際の政治に用いられました。東アジア最初の文字、甲骨文字が用いられたのも、殷の時代です。

 

 その殷はBC11世紀、しゅう王朝に滅ぼされます。これも伝承では、殷の紂王ちゅうおうが暴政を敷いたため、周の名君武王ぶおうがこれを成敗したとされます。無論これは周が殷を滅ぼしたことを正当化するために脚色された感があります。

 インドシナ半島に稲作が伝わったのも、BC2000年頃とされます。タイのバンチェン文化はその中でも代表的なものです。

オセアニア

 メラネシアではBC1500年頃に大きな変貌を遂げます。その担い手となる人びとは特徴的な文様の土器を持っていたことから、それまでメラネシアに住んでいた人々とは異なる集団だと考えられています。この文化を、発掘されたニューカレドニア島の村名から採って、ラピタ文化と呼びます。

 ではラピタ文化をもたらしたのはどのような人々でどこから来たのか。考古学や言語学の研究から、彼らは台湾から東南アジアを経てやって来た、オーストロネシア系の人々だと考えられています。

オーストロネシア↑最初の地図を拡大したものです

 台湾は今でこそ中国系の人々が多数派を形成していますが、当然ながらそこにも先住民が居り、独自の文化や言葉を持っていました。その台湾先住民が、フィリピン、インドネシアに住む一部の民族や、メラネシアの人々と言語的に近しい関係にあることが分かっており、それをまとめて「オーストロネシア系」の人々と呼んでいるのです。ただし、この台湾先住民がラピタ文化の土器を持っていたわけでは無く、ラピタ文化の起源はまだ研究の途上にあるようです。

中央アメリカ

 アメリカ大陸中央部、現在のメキシコでは、BC2千年以降、農業を軸とした社会形成が本格化します。エジプトやメソポタミアでは小麦、中国ではコメが造られていたのに対し、メキシコではトウモロコシが主食として作られました。

 BC1200年頃になるとこの農耕文化を土台に、オルメカ文明が出現しました。これは中央アメリカ最古と考えられている文明で、巨大な頭の石像が多数造られたことで知られています。

オルメカ

 オルメカ文明の遺跡からはヒスイも見つかっています。この鉱石はメキシコでは採れないため、この時代すでに長距離交易が行われていた証拠だと考えられています。また、ヒスイの青緑色は、オルメカでは神聖な色とされていたらしく、そのレア度も相まって、当時は金よりも価値がありました。オルメカ文明は、後の時代に出現するマヤ文明などにも大きな影響を与えています。

南アメリカ

 トウモロコシの栽培は、BC2000年以降(詳しい時期は不明)に現在のペルーまで伝わります。ペルーは地理的に、西は海抜0mの太平洋、東は標高数千mのアンデス山脈と、地形の変化がダイナミックな場所で、それぞれの標高、気候に合わせた多様な農作物(トウモロコシの他、カボチャやトウガラシなど)が作られました。

 農耕の難しい高度4000m以上の場所では、リャマなどの家畜栽培も行われていますが、いずれも当時のユーラシアやアフリカにはいない動植物でした。古代アンデスの人々は小麦やコメ、馬や豚を知らず、逆に当時のユーラシアの人々は、トウモロコシやリャマを知らなかったわけです。

主な出来事

※文献や研究結果により、年代にはかなりのバラツキがあります。

史実か伝説か意見の分かれている出来事もありますし、年代が100年単位で前後することもあるのでご注意ください。

 

BC2000頃 クレタ島にミノア文明出現(ギリシャ)

BC1900~1800頃 インダス文明衰退(インド)

BC1842頃 アメンエムハト3世即位 ~BC1797頃(エジプト)

BC19世紀末 ヒッタイトにシャムシ・アダド1世即位 ~BC18世紀初頭(西アジア)

BC1792頃 バビロニアでハンムラビ即位 ~BC1750頃(メソポタミア)

BC1720頃 エジプトにヒクソス侵入

BC17世紀 ヒッタイト王国成立(西アジア)

BC1600頃 ミケーネ文明成立(ギリシャ)

BC1595頃 ヒッタイトのムルシリ1世、バビロン第一王朝滅ぼす(メソポタミア)

BC16世紀 殷王朝成立(中国)

BC16世紀 ミタンニ王国成立(メソポタミア)

BC1500頃 カッシート王国(バビロン第三王朝)成立(メソポタミア)

BC1500頃 インダス川流域に、アーリア人移住(インド)

BC1500頃 オーストロネシア系、メラネシアに移住本格化

BC1482頃 メギドの戦い トトメス3世パレスティナ征服(エジプト)

BC1400頃 ミケーネ文明により、ミノア文明征服される(ギリシャ)

BC1379頃 アメンホテプ4世即位 ~BC1362頃(エジプト)

BC1361頃 ツタンカーメン即位 ~BC1352頃(エジプト)

BC1304頃 ラムセス2世即位 ~BC1237頃(エジプト)

BC1300頃 ストーンヘンジ現在の形になる(イギリス)

BC1285頃 カデシュの戦い(エジプト・西アジア)

BC13世紀前後 トロヤ戦争?(ギリシャ・西アジア)

BC13世紀末 モーゼの出エジプト?

BC1200頃 西アジア、ギリシャに海の民ら異民族侵入 ヒッタイト、ミケーネ文明滅亡

BC1200頃 中部ヨーロッパにラウジッツ文化出現

BC1200頃 オルメカ文明出現(中央アメリカ)

BC1155頃 エラム人、カッシート王国滅ぼす(メソポタミア・西アジア)

BC1150頃 フェニキア人、交易活動活発化(西アジア)

BC11世紀 アメン神権国家成立、エジプト分裂時代に入る

BC1046頃 殷の紂王、周の武王に敗れる。周王朝成立(中国)

BC1000頃 ダヴィデ王、イスラエル統一(西アジア)

 

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