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アメリカの首都はなぜワシントン?

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一般にその国の首都は、その国最大の都市であることが多いです。東京、パリ、ソウル、バンコク・・・。しかしアメリカ合衆国の場合、その首都はワシントンDC(以下ワシントン)。データーブックオブザワールド(二宮書店)によれば、その人口は60万人ほどだそうです。

 

一方アメリカ最大の都市はご存知ニューヨーク(800万)。次いでロサンゼルス(380万)、シカゴ(270万)と続きます。ニューヨークと比べ10分の1以下であるワシントンがなぜ首都なのか?その理由は、アメリカが「合衆国だから」です。今回は首都の観点からアメリカ初期の歴史を紐解いてみます。

大西洋を渡るイギリス人

航海士コロンブスがアメリカ大陸に到達したのは1492年の事で、これを機にスペイン人やポルトガル人が”新大陸”への進出を始めます。しかし当初彼らが積極的に移住したのは、より温暖で大文明(アステカインカ)のあった中南米でした。

 

現アメリカ合衆国の属する北米大陸は、気候が厳しく大きな帝国も無かったため、入植が遅れたのです。この地にヨーロッパ人が本格移住を始めるのは17世紀になってから、しかもイギリス人が中心でした。

 

16世紀末エリザベス1世の元で強国となったイギリスは更なる富を求め、専門の開発会社まで設立して、新大陸に赴きました。また政争や宗教問題で国内に居られなくなった一部イギリス人も、新天地に望みをかけて大西洋を渡りました。後者で有名なのが、メイフラワー号にて海を渡ったピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々。彼らは1620年新大陸に着岸し、現在のプリマス(マサチューセッツ州)を築きました。

厳しい気候の中、時に先住民の力を借り、時に先住民を攻撃しながら植民地が造られました。その数13。元々建設者もその目的もバラバラだったこれらの植民地は、イギリスの植民地である以外これといった共通点はなく、互いに独立したものでした。

茶会から独立へ

18世紀に入るとイギリスはライバル国フランスとの戦争に明け暮れ、アメリカ大陸でも連動して英植民地と仏植民地の戦争が起きました。また、植民地を経営する費用を得るために、イギリス政府が植民地側の意見を聞くことなく税を上げたりしたため、植民地側が抗議。「代表なくして課税なし」という言葉や、茶税に対する抗議活動「ボストン茶会事件(1773年)」はよく知られています。

 

この頃には植民地建設から既に100年以上が経過し、祖国イギリスを「見たことも無い」イギリス系住民も多くいました。こうした人々は祖国への愛着も少なく、遂にはイギリスからの独立を主張する者も出現します。かくして1775年アメリカ独立戦争が始まり、81年頃までにはイギリス王室もその独立を承認しました。

アメリカvsイギリス

この独立戦争の際、連帯を組んだのが先の13植民地で、独立後は13の州となりました。アメリカでは現在でも、死刑の有無や選挙権の年齢が州によって異なっているなど、州の独自性は日本の都道府県よりはるかに高いのですが、それも元々は独立した植民地だったからです。

 

日本語では「合衆国」と訳す「United States」の「States」も、本来は「国家」を意味する単語です。広大なアメリカでは州の権限が、あたかも各々が独立国家であるかのように高いのです。

ワシントンDCの「DC」とは??

しかし13の植民地(州)が連携するには、それらをまとめる「中央政府」がどうしても必要になります。連携を失えば、またイギリスが潰しに来るかもしれないからです。では、その「中央政府」をどこに設置するか。今度はこれが問題となりました。例えばニューヨーク州など特定の州に政府を置けば、その州が何かと有利な政治的判断を下すかもしれません。

 

そこで「どこの州にも属さない地」にゼロから街を造り、そこをアメリカ合衆国の中央政府所在地、即ち「首都」としました。そして独立戦争の英雄であり、初代大統領であるジョージ・ワシントンの名を採って、その都市を「ワシントン」としたのです。この都市の正式名称は「ワシントン・コロンビア特別区(=DC)」ですが、この「特別区」とはどこの州にも属していないという意味でもあります。

 

独立後、アメリカの領土は西へと拡大していき、その都度新しい州も造られます(現在50)。その中にワシントン州というものもありますが、これはワシントンDCとは直接関係のない一般的な州です。

↑意外と高いビルのないワシントンDC

こうした背景から、ワシントンDCはアメリカの行政に特化した都市となりました。その為他の都市と比べても大企業の本社や巨大工場なども多くなく、人口も大きくは増えませんでした。

↑摩天楼が立ち並ぶニューヨーク

対照的に経済の中心地として発展したのが、歴史的港町でもあったニューヨークです。こちらは大企業の集積地で、しかも移民の玄関口でもあり、必然的に人が集中するような性格を持っていました。

 

ワシントンとニューヨークで人口に大きな差があるのは、両都市の性格の違いにあるのです。「政治の拠点」「経済の拠点」の両者がいわば”棲み分け”をした事が、東京やパリとは異なる性格の首都を生み出した・・・ここにアメリカの歴史的な特徴を見出すことができます。

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