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8世紀~フランク、大仏、アラビアンナイト~

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8世紀の世界

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7世紀に誕生したイスラム教は、8世紀になると更にアラビアの周辺(中央アジア、スペイン)へと広まっていきます。ただこの頃には征服活動だけではなく交易による広まりも重要となっていきます。長い混乱が続いたヨーロッパはようやく統一の兆しを見せ始めますが、中国()では逆に8世紀半ばから不安定期に入ってしまいます。

日本

日本では701年、国内初の本格的な法令文書、「大宝律令たいほうりつりょう」が完成し、大和朝廷を中心とした政府が成立します。710年には平城京に都が遷され、奈良時代が始まりました。

 

しかし疫病や飢饉が連続したことから、人々は仏教に救いを求めるようになります。聖武天皇しょうむてんのうが僧侶の行基ぎょうきらに命じて大仏を建立し、唐から高僧の鑑真がんじんを招いたのも8世紀半ばのことです。しかしこの結果、平城京では僧侶の力がつきすぎて、政治を左右するまでになりました。

この為、桓武天皇かんむてんのうは794年に平安京を築いて、再度都を移しました。当初の平安京には最低限の寺院しか無かったといいます。

東アジア

中国は8世紀を通じての時代でした。8世紀初頭には中国史上唯一と呼ばれる女帝、則天武后そくてんぶこうが権力を奮いました。彼女の治世中には、の時代に始まった官僚試験科挙かきょが定着しました。これは何度か中断や変革を経ながら、の時代まで続きます。

科挙

8世紀前半~半ばは、6代目皇帝玄宗げんそうの長い治世が続き、唐の繁栄が続きました。彼は広大な唐の各地に節度使という役人を派遣し、監視に当たらせました。文化面も華やかで、李白りはく杜甫とほといった、中国史上最高の詩人が登場するのもこの頃です。

 

しかし晩年の玄宗は美女楊貴妃ようきひに溺れ、政治への興味を失います。中央では楊貴妃の一族(楊氏)が好き勝手に振る舞ったっため、不満を持った節度使の安禄山あんろくざん史思明ししめいらが反乱を起こします。安史あんしの乱です。この大乱を機に唐は衰退を始めました。

 

朝鮮半島の新羅でも文化面で最盛期を迎え、8世紀半ばの景徳キョンドクの時代、朝鮮半島最大の仏教寺院、仏国寺の建立が開始されました。その北部では、高句麗の生き残り大祚栄だいそえいが、渤海ぼっかいという国を建設。日本とも友好関係を築きました。

 

チベットの吐蕃とばんではこの8世紀にヒマラヤを越えて仏教が伝来。後のチベット仏教へと発展していきました。

西アジア・中央アジア

イスラム教は、ウマイヤ朝の元でも周囲へ広まっていきます。東は中央アジアからシルクロードを経て、現在のキルギス付近まで及びました。同じ時代、東から影響力を拡大していたのが中国のでした。こうして唐とイスラムの軍は751年に激突。タラス河畔の戦いです。この戦いで敗れたのは唐軍で、また捕虜となった中国人により製紙法が中東へ伝わったとされています。

 

西方へは北アフリカモロッコまでを征服した後、ジブラルタル海峡を越え、遂にはイベリア半島(現スペイン・ポルトガル)まで支配しました。しかしウマイヤ朝は自分たち(アラブ人)をえこひいき・・・・・し、ペルシャ人など元々住んでいた人々(マワーリーといいます)を差別する社会でした。そのため支配域の拡大とともにマワーリーの人口もその不満も増大。750年、マワーリーの支援を受けたアッバース家がウマイヤ家を打倒します。

アッバース朝は、シルクロードへつながる交易路とティグリス川の両方を利用できる地に新王都を建設。これが現在のイラクの首都でもあるバグダッドです。以後バグダッドは、イスラムの政治経済の中心となりました。

また、8世紀末に登場したカリフ、ハールーン・アッラシードはアラブ・非アラブの区別なく、優れた官僚や学者を採用し、アッバース朝はこの時期黄金期を迎えました。後の時代に作られた『アラビアンナイト』にはこの王も登場し、当時の華やかな社会が描かれています。

ヨーロッパ

暗黒時代の続いたヨーロッパにも大きな変化が起きます。イベリア半島を征服したウマイヤ朝の軍は、更にピレネー山脈を越え、現在のフランス南部にまで進出しました。ここに立ちはだかったのがフランク王国。その宰相カール・マルテルトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム軍を破り、ローマ教皇の信頼を得ました。

フランク王国はキリスト教の拡大にも努め、ローマ教皇との関係も強化されました。800年のクリスマスの日、時のフランク王カール1世(大帝)は、教皇から「ローマ皇帝の後継者」として、王冠を受けました。このカール戴冠がきっかけで、ヨーロッパの重心が南欧から西欧へと移っていきます。

 

カロリング家の出世

もう一つ重要な点として、ヨーロッパで封建制度が出現したのがこの8世紀頃です。様々な民族が争う不安定な時代、自分の土地を守りたいと思った人々は、軍隊を持つような有力者に土地を差し出し、保護を頼みました。

有力者(主君)は土地を受け取ったうえで、改めて本来の持ち主(家臣)に貸出し、今まで通りに耕作させます。

しかしこの時の契約により、主君は土地を保護する、家臣は主君に協力するという義務を負いました。こうして主君は次々と契約を結び、自分の土地(荘園)を拡大していきました。

~主な出来事~

701 大宝律令完成(日本)

710 平城京へ遷都。奈良時代始まる(日本)

711 西ゴート王国滅亡。イベリア半島がウマイヤ朝下に入る(南ヨーロッパ)

712 玄宗即位(中国)

年号不明 8世紀初頭 サハラ地帯にガーナ王国成立(アフリカ)

726 ビザンツ帝国レオン3世、偶像禁止令(東ヨーロッパ)

732 トゥール・ポワティエ間の戦いフランク王国がイスラムの拡大を止める。(西ヨーロッパ)

750 アッバース朝成立 ウマイヤ家滅亡し、イベリアへ逃れる。(西アジア)

年号不明 8世紀中頃 ジャワ島をシャイレーンドラ家が支配(東南アジア)

年号不明 8世紀中頃 チャド湖周辺にカネム王国成立(アフリカ)

751 タラス河畔の戦い 唐とイスラム激突(中央アジア)

751 新羅の都、慶州仏国寺建立開始(朝鮮半島)

751 フランク王国でカロリング家ピピン3世が王位に就く。(西ヨーロッパ)

752 奈良の大仏完成(日本)

754 鑑真来日(日本)

755 安史の乱(中国)~763

756 後ウマイヤ朝、イベリア半島に成立(南ヨーロッパ)

774 フランク王国のカール1世カール大帝)、北イタリアのランゴバルド王国を滅ぼす。(西ヨーロッパ)

8世紀後半 アンデスのティティカカ湖周辺にティワナク文化隆盛(南アメリカ)

786 アッバース朝にハールーン・アッラシード即位(西アジア)

793 ノルマン人、アイルランドで略奪。ヴァイキング活動始まる(北ヨーロッパ)

794 平安京へ遷都。平安時代始まる(日本)

800 ローマ後継者としてカール戴冠フランク帝国となる(西ヨーロッパ)


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