3カ国目~スリランカ~
9/14(日)バンコク→コロンボ

父は今日の9:30離陸の羽田行き飛行機に乗るため、今朝7:00私たちと別れ、ホテルを発った。残った私と母は13:55発の便でタイを出る予定であったが、朝早く航空会社からメールが来ていて、15:15に遅延とのことだった。ただ、昨日の段階でホテルの送迎サービスは頼んでいたし、1時間半なら空港で時間を潰せるだろうと、予定通り11時にホテルを出て空港に向かった。そこで改めてスワンナプーム空港の巨大さを実感する。搭乗のフロアには、仏教というよりヒンドゥー教の神話に登場していそうな神の像が、仁王のように二人一組で立ち並んでいた。荷物を預けた後、ある程度時間を潰して出国手続き済ます。セキュリティチェックから搭乗ゲートまでの間には、ブランド店がズラリ。母も香水の匂いなどは苦手なのだそうだ。

空港にあったオブジェ。タイの神話がモチーフ?
とにかく贅沢にも時間が有り余っているので、近くの店で休憩がてら、「地球の歩き方」スリランカバージョンを読む。明日どの程度動くかは体力次第になるだろう。ところで、発行されたチケットには、14:15までにゲートに来てくれと書かれていた。しかし、ベトナムでの事もあって何となく察しはついていたが、時間になってもゲートは開かず。10分くらいのズレは、タイやスリランカでは「定刻」のうちなのかもしれない。スワンナプーム空港では、ゲートから搭乗口までスロープを降り、そこで飛行機に乗るのを待つ構造になっていた。その際、スタッフさんから軽食ボックスが渡された。機内食を先に配るのかな?と思ったが、どうやら遅延のお詫びらしい。箱の中にはサンドイッチや水が入っていたが、水はサラダを入れるような容器に入っていた。面白い。面白いのだが、外を見るとまだ飛行機自体が到着していない!嫌な予感はしたが、ふと、私達の乗る便を今一度スマホで確認したところ、しれっと出発は15:55になっていた!これでピッタリ2時間遅れ・・・

このタイプの水の入れ物は初めて見たかも
待望の飛行機が到着し、車内清掃や荷物の出し入れが行われて、やっと私達も飛行機の中へ。見たところ、南アジア系の顔をした人が大半で、東アジアっぽい人は私達を含めてわずかであった。この旅初となるエコノミー座席は、えらく手狭に感じたが、これは贅沢というものだろう。結局出発は16時を過ぎた。私の乗った座席は3列で、隣が母、一番通路側にはスリランカ人の男性が座っていた。離陸後母がトイレに発つと、その男性が話しかけてきた。なんと片言ではあるが日本語である。曰く東京に勤めた経験があり、日本企業の仕組みをいろいろ勉強させてもらった、今はコロンボで宝石商を営んでいる、とのこと。私についても、「スリランカは初めてか」「そう、ヨーロッパまで行くのか~」と、日本語・英語を交えた会話で盛り上がった。上記の通り座席が狭いので、私や母がトイレに立つ度に、この男性にも立ち上がって貰わなければならなかったが、彼は嫌な顔一つせずに応じてくれた。その後母とも英語での会話に花を咲かせていたようである。また貰ったランチボックスとは別に機内食も出してくれたが、チキンを使った料理、デザート、そして何より紅茶が美味しかった。
2時間強遅れの17:50頃、飛行機はやっとスリランカの玄関口、バンダラナイケ国際空港に到着。意外なほどあっさり入国審査は終わり、あとは荷物を引き取るだけ。該当のコンベアに行って荷物を待っていると、まず母の大きなスーツケースが出てきた。しかしその後待てど暮らせど、私のスーツケースは出てこない。ひょっとしてロストバゲージか?という不安。15分ほど後、やっとスーツケースが顔を出す。しかし目印のためにスーツケースを囲っていたストラップがなくなっていた。カスタマーセンターに行って調べてもらったが、無いとのこと。まあ生活に必要なものは全部回収できたわけだが、少し凹む。空港を出た頃にはすっかり暗くなっていた。確かここからホテルまでは徒歩圏内だったはずで、母の荷物を持ち、空港を徒歩で出発。

仏教国家スリランカにはあちこちに仏像が。けどこの時はそれどころじゃなかった(これは別日に撮影)
しかしこれが間違いだった。まず到着ターミナルに隣合う出発ターミナルでは、大勢の見送り客でごった返しており、そこを抜けるのに一苦労。そして空港の出口には、タクシーやトゥクトゥク(スリランカではスリーウィラーというらしいが、なぜか現地の人もトゥクトゥクと言っていた。)の勧誘。断ってもしつこく追いかけてきて、「コロンボ?」「ジャパン?」などと声を掛けてくる。こちらも相手の目を見ないように「No thank you!」を繰り返していたが、次第に「No!」だけになり、ついには返事もしなくなる。この辺りから、ホテルが思いのほか遠いようだということがわかり、あきらめてUberを呼ぼうかとしたら、今度はネットがうまくつながらない。ホテルへ連絡しようとしたが、電話もかからない状態。もう歩こう!腹をくくった私たち。日が沈んでもまだまだ蒸し暑い中、不安を抱きながら暗い道を歩くこと十数分。異様に長く感じたこの道の末、ホテルの看板が見えた時には心底安心した。
冷房の効いたホテルでチェックインの手続きしている間に、ウェルカムドリンクをいただき、ようやく生き返る。部屋も綺麗そうだ。あとは空港で説明してもらった、ロストバゲージに関するメールを作成して、送信。色々あった一日だったが、不思議と嫌な気分ではない。旅の興奮がそうさせているのだろうか。(なお、父は無事に帰国したとの連絡もあった)
9/15(月)コロンボとスリジャヤワルダナプラコッテ

このホテルも結構空港が近いせいか、離着陸の音がよく聞こえる。が、私はもう慣れたのか、耳栓無しでも眠れるようになった。今朝ホテル横のレストランでイギリス風の朝ご飯をいただき、明日の準備も少し済ませていく。さて、今日はコロンボ市内へと繰り出そうと思うが、60代の心臓病経験者に、昨日は特に無理をさせてしまったので、母はホテルに残るかもしれないと言っていた。しかし結局同行することに。ホテルからコロンボへはまともな鉄道が通っていないので、まずは徒歩圏内にあるバスターミナルへ向かう。昨日ほどではないが、今朝も2人で歩いていると、トゥクトゥクを停めておっさんが声を掛ける。こちらはもう目も合わせない!

ホテル~バスターミナル
バスターミナルからコロンボまでは30㎞くらいあるが、タクシーより圧倒的に安いのと、地元民の足を一度経験したかったのとで、ここからローカルバスに乗車することに。ターミナルでは、スタッフ(後にバスの車掌だということが判明)が「コロンボ!コロンボ!」と盛んに呼び込み。ちなみにコロンボ・フォート駅行きのバスはNo.187というものであるが、事前情報で高速道路を使う冷房付きミニバスと、下道を走る冷房無しの大型バスの2種類があることを知っていたので、前者を選択。それでも一応車掌さんと、後ろに座っている別のお客さんにも確認した。30㎞の道を40分を超える時間で走っても、一人300ルピー(約150円)と破格だが、これでも値上げしたらしい。なお、使用しているミニバスには日本語の注意書きが書いてあり、この車両が日本からの“おさがり”だということが分かった。
車掌はできるだけ多くのお客を乗せて走りたいらしく、補助席どころか運転席後ろの座れるスペースにまでお客を乗せ、車内が満席になったところで発車。なお時刻は10:30と普段より遅めである。立派な高速に入って胸を撫で下ろすと、進行方向左手に大きな水辺が。これはインド洋ではなく、ラグーンである。これと前後して車掌が運賃を回収。ぎゅうぎゅうの車内後方においては、他のお客さんにリレーしてもらってお札を集めていた。やがて高層ビルや、巨大なタワー(高さ350mもあるロータス・タワーというらしい)が見えてくると、高速を降り、またもや喧騒の一般道へ。ハノイと同様にクラクションがここそこで鳴り響いているが、ベトナムと異なる点は、車が(日本やタイと同じ)左側通行であることと、バイクよりもトゥクトゥク(スリーウィラー)が目立つ事である。これに大型バスなども加わり、空いたスペースに無理やり入ってくるものだから、慣れない日本人旅行者にとっては恐怖すら感じる。

バスの運転席より 車道はごちゃごちゃ
そんな中、途中で数回停まって客を降ろしたバスは、最大の鉄道駅フォート駅付近のバスターミナルに停車。いや、厳密にはその近くの普通の道路上に停まった。先ほどこのバスの行き先を確認させて貰った後ろの乗客に肩を叩かれ、ここが終点と教えて貰ったが、ぱっと見分からない。

この池の近くで下車、休憩 奥にそびえるのはロータスタワー
バスターミナルの前には人工池とおぼしき場所があり、橋を渡った先にいくつかお店があった。その1件でライチジュースをいただく。店員のおばさんは気さくな方で、「スリランカには何日?」などと英語で話しかけてくる。このような現地の人との会話は楽しい。続いて今日私が先にどうしても行きたかった場所へ向う。首都スリジャヤワルダナプラコッテである。ブログでこの街についての記事(こちら)を書いた手前、スリランカに来てスリジャヤワルダナプラコッテに行かないのも嫌だったので、不便な場所ではあるが、無理やり行くこととした。

今度は普通の路線バス(大型)である。車内にドアもなければ、エアコンも無く、外からの砂交じりの風がその代わり。運転席の上には小型の仏像やガネーシャの像がズラリ。さらにラジオか何かで延々と音楽を流している。異国情緒溢れる市民の足である。スリジャヤワルダナプラコッテまでの運賃を聞くと、さっき乗ったバスよりさらに安い、一人76ルピー、2人で152ルピーである。車掌に160ルピーを渡したが、返ってきたのはレシートだけだった。これも細かい額は気にしない(気にしてくれない)、スリランカ流の支払いである。右に左にガタガタ揺れながら、車の波の中をかき分けるように、コロンボ市内を進むバス。車窓には、掘っ立て小屋のような小さな店から、近代的な超高層ビルまでが混在していた。しかしやはり仏教国なのか、金ぴかの仏像もまたあちこちにあった。しかしバス側はお客の獲得に必死である。信号待ちで止まると、呼び込みのために車掌がバスを降りてどこかへ行ってしまったことも。一方降車客は、バスが完全に停まっていないのに、ひょいと降りてしまう始末。日本では安全上絶対許されないだろうな…
フォート駅前を出てから40分程で、バスはスリジャヤワルダナプラコッテに入った。基本、降りる時は座席上のヒモを引っ張って、奥の呼び鈴をチーンと鳴らすのだが、なぜか私たちの乗った側の席にはそれが見当たらなかった。そのため、車掌に確認して、次のバス停で降ろしてもらった。本当はひとつ手前で降りたかったので、そこまで母を連れて戻ることに。結局今日も彼女を炎天下の中歩かせてしまった。目的地のY字路には「コッテ・ロード」の案内表示が。この場所の写真を撮って、スリジャヤワルダナプラコッテに来た証明とすることにした。本当は国会議事堂や、コッテ王国時代の遺跡などの位置も調べていたのだが、とても2人で歩ける距離や気温ではないし、もうバスもあまり乗る気はしなかった。

とりあえず、コッテ・ロードのどこかの店で昼ご飯を、と思ったが、なかなか2人のお気に召すレストランは見つからない。このまま歩き続けていても無意味どころか危険かもしれないので、母が見つけたドラッグストアでドリンクを買って涼みつつ、Uberで戻ることにした。とは言え昨夜もそうだったが、スリランカのネット事情は今一つ。今いる薬局のような小綺麗なお店なら、と操作したら、何とかドライバーに来てもらえた。成田以来久々のUberタクシーでスリジャヤワルダナプラコッテを後にした。

次の目的地は、スリランカ国立博物館。この国の歴史をはじめ、様々な展示物を見ることができる建物で、見た目も西洋による植民地時代に建てられた物を元としている。しかし何とこの日は閉館日!スリランカ観光をしつつ、中で涼もうという計画がオジャンとなってしまった。これ以上炎天下を歩きたくなかった私達は、すぐに次のタクシーを呼んで、移動。さっきの無口な運転手と異なり、次の運転手はおしゃべり好き。最後には電話番号を交換してとまで言われてしまった。この運転手に連れて来てもらったのが、コロンボの海岸。その向こうはインド洋である。母が無理してついて来たのも、この大洋に惹かれてのことだったそうだ。幸い天気も良く、正午を過ぎて西側に傾き始めた太陽によって、この世界第3の大海はキラキラと輝いていた。

ところで私がUberで指定し、連れて来てもらった海岸は、高級ホテルの林立するリゾート地だった。そのホテルのひとつに入らせてもらい、館内のレストランようやくお昼ご飯(結局夕飯も兼ねることに)。待望のスリランカ・カリーとセイロンティーをいただく。高級ホテル(過去に著名人が何十人も来ており、その肖像画が飾られていた)での食事のため大分値はしたが(サービス料込みで9000ルピー以上だった模様)、その分美味しさとボリュームは十分お釣りの来るものだった。今日はコロンボ市内観光としては、いささか物足りなさを感じたと思っていたが、母は、日本ではお目にかかれないバスに乗って、美しいインド洋を見られて、おいしい料理を食べられたんだからと、満足顔。まあ元々前向きが服を着ているような人だから、そのような返答を予想はしていたが。

スリランカ・カリー 現地風に右手で混ぜて食べようとしたが、結局ベトベトに…
普段離れて暮らしているため、こんなに母と一緒にいるのは10年以上のぶりである。日本にいる間は、気が立っていたこともあり、のんびり屋の彼女に随分暴言も吐いてしまっていたが、今はその発言を反省している。せめてこの旅が終わるまでの間は、ボディーガード、ツアーガイド、聞き役としての職務を全うし、せめてもの親孝行に繋げられればと思う。母の思いつきと英断がなければ、今も私は仙台の地で、電話応対に明け暮れる日々を送っていたわけだから・・・

スリランカと言えば紅茶!超美味でした♪
ちなみに食事の後、ホテルのWi-fiを使わせてもらってUberを呼び、高速を通って一気にホテルへ直帰。高速代はこっち(しかもキャッシュ)で出さねばならなかったが、適度にいい運転手にめぐり逢えたのは良かった。ちなみに高速料金を含めて帰りは3600ルピー。行きの10倍だった!というか、あのバスが安すぎる!
4カ国目~アラブ首長国連邦~(工事中)