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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

紀元前30世紀~21世紀 ~文明の誕生~

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古代オリエント
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BC30-21世紀

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長らく「同時代世界史」を書いてきた筆者ですが、その始まりは1世紀からでした。特にこれといった理由は無かったのですが、キリが良いと思ったとか、その程度のものだったと思います。しかし、やっぱり紀元前の話も書きたいと思い、ここに新シリーズをスタートしたいと思います。

 

紀元前の時代は、遡ろうとすれば数万年とか平気で遡れてしまいますが、ここは古代エジプト、メソポタミア文明が形を成してきた紀元前30世紀(約5千年前)からスタートしたいと思います。とはいえこんな古い時代、わかっている事は限られているので、このページだけで一気に1千年間(BC30世紀~BC21世紀末)を扱いたいと思います。

 

※以下の出来事は、あくまで現在までに発掘されている遺跡や、少ない文字資料からわかっている、あるいは推測されていることがらであって、正直「諸説あり」なところも少なくありません。また、今後の調査、研究次第では、出来事や年代がひっくり返される可能性も当然あります。あらかじめご了承ください。

BC30世紀以前を簡単に・・・

考古学によれば、人類は1万年前までに南極を除く地球上の全大陸に進出していました。大陸以外では、ハワイやニュージーランド、アイスランドなど、大陸から遠く離れた島への進出にはまだ時間がかかりますが、日本やイギリス、インドネシアなどの島々にはすでに人類は生活圏を築いていました。

当初人類は、木の実を採ったり、狩りで動物や魚を捕まえたりして食料を確保していましたが、やがて物を煮炊きする土器や、粉状にして加工する石臼などを発明。これにより食べられるモノのバリエーションも増えて行きました。

 

更に人類は、植物を自らの手でつくり育てる方法を発見。1万年ほど前にはユーラシア(西アジア?)で農業が開始されます。最初は狩猟採集生活を補うものでしたが、様々な改良によって食料を確実に手にできるようになると、その立場は逆転。人々は獲物を探して歩き回るのをやめ、定住生活を始めます。また動物の家畜化も同じ頃に始まり、牛や羊からミルクや肉を取るようになりました。

 

食料が安定すると、人口が増加し、社会も複雑化していきます。また、食料を生み出す「土地」に重きが置かれるようになっていきました。こうして村がうまれ、やがては国へと発展していきました。

 

もちろんこうした変化は「場所によりけり」で、寒冷地や真水を手に入れられない乾燥地帯など農業に不向きな場所では相変わらず狩猟採集生活が続けられましたし、草原地帯では家畜化した牛や馬、羊などと共に移動しながら生活する「遊牧」が営まれました。

BC30世紀~BC21世紀

今から約5千年前になると、一部の地域でより高度な社会、すなわち文明が姿を現し始めます。日本では「四大文明」と呼ぶことが多いですが、国によってはエジプトとメソポタミアを一緒にした「三大文明」、あるいは古代アメリカなどを含めて「八大文明」などと呼ぶこともあるそうです。

古代エジプト(ナイル)文明

古代エジプト文明は世界最長の川であるナイル川に支えられ、築き上げられました。この大河は定期的に氾濫し、上流から栄養分を運んできてくれたうえ、塩害(地中の塩が地表に上り、作物を育ちにくくさせる現象)の原因である塩分を洗い流ししてくれました。そのため数千年にわたり、エジプトは世界有数の小麦地帯であり続けます。また、川の氾濫を予測する必要性から、太陽暦が生まれました。

ナイルのたまもの

エジプト文明では太陽の神ラー、天の神ホルス、冥界の神オシリスなど多くの神々が信仰されていました。王はその化身とされ、神々の名を借りた多くの称号を持っていました。こうした神や王をたたえ、記録に残すものとして使われ始めたのが、神聖文字ヒエログリフです。

 

BC30世紀頃になるとナイル沿岸の国々が統一されました。記録ではメネス、またはナルメルと呼ばれる王がこれを成し遂げたとされますが、詳しいことは分かっていません。長さ3千年を超えるこの文明は決して一貫したものではなく、実際には複数の王朝が生まれては滅んでいきました。有名なピラミッドが建設されたのは、古王朝時代と呼ばれるそのごく初期のことで、BC27~25世紀頃とされます。

 

BC22世紀頃になると、複数の王朝が同時に並び立つなど、不安定な時代(第一中間期)を迎えます。この混乱期が終わりを告げたのがBC21世紀頃のことで、ここから中王朝時代が始まりました。

メソポタミア文明

古代オリエント

 

現在のイラク南部、ティグリス川、ユーフラテス川沿いには、BC31世紀頃から「都市」が出現しました。ウル、ウルク、ラガシュなどの都市は良く知られています。それぞれの都市は城壁で囲まれ、街の中央にはジッグラトよばれる聖なる塔が築かれました。ジッグラトの中身は神殿など宗教的な建物が中心でした。

 

この担い手がシュメール人と呼ばれる人々で、彼らが備忘録のために用いたとされる絵文字がやがて簡略化され、文字となっていきました。その形から楔形文字と呼ばれています。中でも数量は商売などを行うのに重要なため、早くから数字は使われていましたが、その際の書き表し方として、早くも10進法や60進法を用いていました。

 

また、エジプトと同様に川の氾濫を予測するため天文学が発達し、そこから暦も作られました。しかしエジプトが太陽を基準とした太陽暦を作ったのに対し、メソポタミアでは月の満ち欠けを利用した太陰暦が作られました。

BC24世紀、シュメールとは別の言語(セム系言語)を話すアッカド人のサルゴン王がこうした複数の都市を支配し、メソポタミア南部を統一しました。アッカド帝国です。その孫のナラム・シンは支配領域をさらに拡大し、メソポタミアでは初めて自らを「神」として扱わせたと言います。

 

このアッカド帝国はBC22世紀頃衰退し、シュメール人が勢いを回復。ウル・ナンム王によりウルを中心とした王朝(ウル第三王朝)がBC2004年頃まで続きました。

インダス文明

現在のパキスタンを主に流れるインダス川の流域には、BC2600頃から、モヘンジョダロハラッパーと呼ばれている都市が建設されました。これらの都市には上下水道が整備されており、優れた機能を持っていたとされます。

また、メソポタミアとも交易し、そのための印鑑も出土しています。この印鑑には動物や人物の絵のほか、文字(インダス文字)も刻まれていますが、このインダス文字はいまだ解読できていません。

ただ、描かれた絵図から、インダス文明の人々はヨガ沐浴といった風習を早くも持っていたと推測されています。これらの風習は、現在のインド文化にも受け継がれています。

中国文明

 中国には、黄河長江という2つの巨大河川が流れています。このうち黄河の流域で起こった文化は、見つかった土器の形や模様から、BC5000年~3000年頃を仰韶ヤンシャオ文化、BC3000~2000年頃の時代を龍山ロンシャン文化と呼び分けています。やがてゆうと呼ばれるまとまった集落も形成されていきました。これが王朝へと発展していくことになります。黄河文明です。

黄河文明

後の時代(BC1世紀)に書かれた歴史書『史記』によれば、BC21世紀頃「」と呼ばれる王朝が成立したとされます。近年の調査で夏王朝が実在した可能性は高まっているようですが、まだ結論は出ていないようで、少なくとも『史記』に記述されたような大規模なものではなかったと考えられています。

また、同じく近年の研究や発掘調査により、長江流域にも黄河文明と同時代に、優れた文明があったことを示す遺跡が見つかっています。このため最近では黄河文明と長江文明を合わせて「中国文明」と呼ぶことも多くなりました。なお、黄河文明がアワやキビ、後には麦を主食としていたのに対し、長江文明では稲作が中心でした。

その他

日本

5~4千年前の日本は、縄文時代の後期に当たります。青森県で発見された三内丸山遺跡はちょうどこの時代の大規模集落と考えられており、文明と呼べるものではないものの、縄文文化はそれまで考えられていた以上にレベルの高いものだったことがわかりました。栗の栽培など、原始的な農業も一部では行われていたようですが、やはり狩猟採集が中心だったようです。

 

朝鮮半島

朝鮮半島でも、すでに土器を用いた文化が築かれていました。これはあくまで神話で史実とは言い難いものですが、BC2333年に初代朝鮮君主、檀君が統治を始めたと記されています。

 

ヨーロッパ

 地中海では、エジプトやメソポタミアにも地理的に近く、特にギリシャとトルコに囲まれたエーゲ海の周辺には、小規模ながら早くから文明が見られました。

 

 現在のトルコ西側、エーゲ海に面した古代都市のひとつがトロイ(トロヤ)です。トロヤの歴史は古く、考古学によれば、最古の都市はBC2600年頃に建設されたとされます(なお、有名なトロイの木馬のエピソードはもう少し後の時代のものです)。

エーゲ文明

 ギリシャのクレタ島ではBC2000年頃から、本格的な文明が生まれました。ミノア文明あるいはクレタ文明とよばれます。ミノア文明でも文字が使われており、それは現在「線文字A」と呼ばれていますが、解読には至っていません。

 

なお、ヨーロッパ大陸にはまだこの時代に大きな文明があったと思われる痕跡は見つかっていません。ただ、ドルメンと呼ばれる大きな岩石を積み上げた建造物や石を円く並べたストーンサークルなどは各地で見つかっています。また青銅器の使用もこの時期すでに始まっていました。

 

 イタリア沖合の小さな島マルタにも、この時期巨石を用いた神殿が多数建造されました。造られた年代は場所によってバラバラですが、中にはエジプトのピラミッドよりも古いとされる神殿もあるようです。

 

アフリカ

 アフリカのサハラ砂漠は、実は数千年単位で乾燥化と湿潤化を繰り返しており、現在のような砂漠化は、ちょうどエジプト文明が生まれたBC30世紀頃から始まったと考えられています(それ以前は草原だった!)。

 こうした気候変動に伴い、サハラの南の「淵」に当たる西アフリカのサヘル地帯では、環境に合わせた独自の農業が営まれるようになります。これをスーダン農耕文化と呼び、モロコシやゴマなどアフリカ大陸原産の作物が盛んに作られました。(なおこの「スーダン」とは今の東アフリカにあるスーダン共和国のことではなく、サハラ砂漠の南一帯を指す呼び名です)

 

南北アメリカ

北アメリカ大陸では、BC30世紀までにトウモロコシの栽培が始まっていたと考えられています。その原因に、人類によってアメリカに住んでいた大型動物が狩り尽くされ、絶滅したからという説があります。

 南アメリカでは既にトウモロコシやキャッサバの栽培が始まっていました。BC30世紀頃からは土器も使い始めたとされ、現在のエクアドルにあるヴァルディヴィア文化は南米におけるその最古の例とされます。

 

オセアニア

オーストラリアには数万年前から先住民アボリジニが移住し、暮らしていました。しかし、オーストラリア大陸は大部分が乾燥地帯で、広いわりには大きな川もないため、近年まで農業が行われることはありませんでした。また、一口に「アボリジニ」と言っても実際には多くの集団に分かれており、全土で200を超える言葉が話されていました。

主な出来事

BC3100頃 楔形文字使用開始。ジャムデド・ナスル期(メソポタミア)

BC3000頃 メネス(ナルメル)王がエジプトを統一 エジプト初期王朝成立

BC3000頃 龍山文化はじまる(中国文明)

BC29世紀 シュメール人の都市拡大(メソポタミア)

 

BC27世紀 エジプト古王朝成立 ピラミッド建造始まる

BC2600頃 インダス文明成立

BC2600頃 トロヤ建設(エーゲ文明)

BC26世紀前半 クフ王の統治 大ピラミッド建造される(エジプト)

 

BC2330頃 サルゴン王、メソポタミア南部を統一。アッカド帝国成立

BC23世紀前半 ナラム・シン王、アッカド帝国を最大版図に(メソポタミア)

BC2200頃 マルタ島の巨石文化栄える

BC2112頃 ウル・ナンム王、ウル第三王朝建設(メソポタミア)

BC2094頃 シュルギ王、ウルの王に即位(メソポタミア)

BC2070頃 王朝成立?(中国文明)

BC2040頃 エジプト中王国成立

BC2004頃 ウル第三王朝、エラム人の侵入で滅亡(メソポタミア)

BC2000頃 クレタ島でミノア文明始まる

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