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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

10カ国目~チェコ(一部スロバキア)~

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9/30(火)ブダペスト→プラハ

今日はいよいよハンガリーを去る日。しかも空路ではなく、この旅唯一の陸路である。朝食をたんまり食べた後、ホテルをチェックアウト。ブダペスト西駅から一部スロバキアを経由しつつ、チェコのプラハ本駅まで、特急列車ユーロシティで7時間弱の鉄道旅が始まる。

お目当ての列車、車両はすぐに見つかったが、あまりバリアフリー対応にはなっておらず、スーツケースを上げるのに一苦労。座席は最も安いものを予約したため、リクライニング無しの座席、しかも後ろ向きだった。せめてコンパートメントにすべきだったか。

9:30定刻にブダペスト西駅を発車。車内の天井にはモニターが設置されており、停車駅、到着時刻、そして現在のスピードなどが表示されていた。ケチケメートへ行った列車と似ているが少し違うかな。発車直後は複雑なポイントを通過するからだろうか、結構なノロノロ運転であったが、メインのルートに入ると一転、平気で時速120㎞を出していた。ブダペストから離れると、車窓は緑に。首都の光景ばかり見ていると分からない国土の様子を知れるのは嬉しい。やがて車窓にドナウ川が見えてくる。昨日で見納めかと思っていたこの欧州の大河を最後にもう一度見られたのは嬉しかった。

見納めドナウ川

列車は国境沿いのソブ駅に停まった後、間もなく川を渡る。ここでハンガリーからスロバキアへ入ったようだ。スロバキアは今回列車で通過するだけの国だが、その分車窓からの景色をしっかり目に焼き付けたい。国境を越えてしばらくは広大な畑と森林が続く。人工物は時折小さな町で見かける程度である。

車窓はだいたいこんな感じ

しかし1時間半ほど経つと、ビルや工場が見え始め、首都ブラティスラバの中央駅に到着。ここで乗客も大分入れ替わった。この段階で列車は10分近く遅延していたので、いつ出発するか心配だった私は、それでも一瞬だけホームへ。わずか1秒だが、スロバキアの大地に降り立つことができた。

スロバキアの首都ブラティスラバ さすがにビルが多い

ブラティスラバを出て、1時間ほどで再び国境(こちらも川だった)を越え、いよいよチェコに入る。ちなみに3か国ともEUに加盟している関係でパスポートチェックなどは無く、新しい国に入る度に車掌がチケット(予め日本で印刷済み)の確認に来ただけだった。チェコに入って間もなく、再び大きな町が見えてくる。モラヴィア地方の中心都市ブルノである。この街の中央駅に停車したのは、出発からすでに4時間以上経過した13:40頃だった。

ブルノの聖ペテロ・パウロ大聖堂

この間私と母は、交替で車内を探検。私達の座っている車両は後ろから2番目なのだが、前方の車両はまた、異なる形をしていた。まずシートと廊下がガラス扉で仕切られているコンパートメント席。中には家族用なのか、扉にキャラクターの描かれている席もあった。それを抜けると一等車の席で、ここには食事を提供するカウンターもあった。一応メニューを見せてもらうと、値段がフォリント、コルナ、ユーロで書かれていた。やっぱりお値段は高めで、そもそも2等車に座っている私達が注文できるのかもよくわからなかったので、注文は断念。

 

列車はブルノを出ると1時間以上ノンストップ。この間に特急列車は最高時速160㎞をたたき出す。日本の在来線特急より速くて心地よい。もちろん特急は一部の主要駅にのみ停まるため、沿線にはたくさんの通過駅がある。そこそこ立派な駅舎を持っている駅もあれば、北海道や東北のローカル線にように、ホームと小さな待合室だけの駅もあった。これらの駅には1日にどれくらいの列車が停まるのか、見当もつかない。午後3時過ぎパルドゥビッツェ駅に到着。あれだけのスピードなら少しは遅れを取り戻せたのかな、と思ったが、そんなことは無かった。

ついた~!

列車はその後、コリーン駅に停まり、16:15終点のプラハ本駅に到着。どこで取り戻したのか、プラハにはなぜか定刻通りの到着だった。ここでしばし休憩(早めの夕飯)。長い事列車に乗っていたものの、ある程度自由に歩けた分、疲れはそこまでひどくなかった。ただ、今日の宿は空港近くなので、まだ移動しなければならない。両替コーナーのスタッフさんに聞いて、3Fにあったバスターミナルから、エアポートエクスプレスというバスに乗車。町中を抜けて空港を目指す。プラハの街にもトラム(路面電車)は走っているが、バスはその軌道上を迷う事なく走行(空港バスだから許されているのだろうか?)。時には石畳の坂道を、前方を走るトラムを追いかけながら走ることもあった。

 

どこをどう走ったか良く分からないまま、バスは郊外へ。プラハ城などの景観地区は明日にお預けである。ヴァーツラフ・ハヴェル空港のターミナル1には予定より早い17:30頃到着。ただし私達のホテルは、一般客が使わないターミナル3の近くにある。このバスはターミナル3を通過してしまったので、ここから59番という別の路線バスに乗車。バスチケットは外の券売機で購入するが、大荷物を持っている場合、荷物用のチケットも必要との事。合わせて一人50コルナ(350円くらい)だった。

 

 これをバス車内の改札機に自分で打刻。切符はこの時刻から一定時間有効のようだが、ものの数分でターミナル3に到着し、今日の宿へ。受付スタッフは、ちょっとクセのある英語を話していたが、日本にも詳しい(北海道に行ったことがあるそうだ)、面白い男性だった。

10/1(水)プラハ

とうとう10月に入り、旅の終わりが見えてきた。今朝はプラハのホテルで朝食。ヨーロッパに来て10日ほど経つが、どちらかというと、私にはアジアの料理が口に合うようだ。この日のプラハは曇り空で、少しだけ雨も降っていた。気温もノルウェー並みに低い。対する地元仙台では大雨になっているという。私のアパートもどうなっているか心配だ。

私達の泊まっているホテル(空港付近)からどう移動するのがいいか。昨夜いろいろ考えた結果、まず最寄りのバス停から地下鉄ヴェレスラビン駅へ向かい、ここの券売機で72時間券(330コルナ=2400円位)を購入した。これでもうプラハを去るまでの3日間、新たに切符を買わずに済む。プラハの地下鉄も最初の改札機で打刻しておけば、あとは時折チェックに来る係員に券を見せるだけでOKである。ヴェレスラビンからは地下鉄A線でスタロメスツカ(旧市街)駅へ。そこからものの5分でプラハ観光の中心、旧市街広場に来ることができた。

ちょうど旧市庁舎の時計台が10時のお知らせ。からくり時計のごとく、窓から人形が見え隠れしたが、時計の大きさと比べると演出は地味だった。この近辺でお土産を買う。軽くてかさばらないモノがいいかと考えあぐね、プラハの街並みがプリントされたエコバッグを購入。ついでにコルナを補充しようと、母はこの近辺で銀行やATMがないか店員さんに尋ねる。店員さん曰く、やはりこの近辺のATMは危険だという。店員さんからは逆にどこから来たかと尋ねられ、Japanと答えるも、「アンニョンハセヨ?」ちがう、ちがう!「ニーハオ!」それも違う!

広場には15世紀の神学者ヤン・フスの像も

スタロメスツカ駅からトラムで一駅。カルロヴィ・ラーズニェ駅で下車。ヴォルダヴァ川に面したこの停留場からは、カレル橋とプラハ城も見ることができた。いい撮影スポットを発見できた!と自己満足。傍には大音楽家スメタナの像もあり、母も喜んでいた。ただし、町中のトイレは有料なのには不満たらたらである。ここから歩いてカレル橋へ。何となくこの橋を渡るのが、プラハ観光の「通過儀礼」になっているような気がする。ただ平日で天候も良くなかったからか、観光客の数はそれほど多くは無かった。ガイドブックの写真では“すし詰め状態”だったので、これは助かる。

プラハ城(奥)とカレル橋(手前)

橋の途中には多くの“聖人”の像が並んでおり、私は橋の入り口に立っていたカール4世(神聖ローマ皇帝・ボヘミア王)のほか、キュリロス・メトディオス兄弟(スラヴ人にキリスト教を伝えた兄弟)、フランシスコ・ザビエル(説明不要?)の像などを見られてご満悦だった。ヨーロッパに来てから、これで歴史上の人物をどれだけ撮影したことだろう… 橋を渡り切った先にマクドナルドがあったので、ここでお茶休憩。ブダペスト西駅の店舗を見てしまったせいか、ここの店内は随分殺風景に見えた。で、やっぱりトイレは有料のようである。

カレル橋の上 両側に多くの聖人が

この近くの有人両替所でチェコ・コルナをもう1万円分両替え。昨日のプラハ本駅より遥かにレートが良かった。一方で私のWiseカードの残高もついに3万円を切ってしまったので、あまり放蕩三昧はできないな。この両替所から歩いてすぐ、マロストランスケ・ナミエスティ駅で22番トラムに乗る。トラムはここからぐんぐん坂道を上り、プラハ城まで連れて行ってくれた。プラハ城駅からお城まではすぐなのだが、手前にある歩行者信号がやけに短くてびっくり。さんざん待たされた上に、渡り切る前に赤になるというレベルだった。

プラハのトラム

プラハ城内部の見学にはノーマルチケットで450コルナ(3200円位)必要。母は足が痛くなってきたとのことで、近くの喫茶店で休んでもらい、私一人中へ。まず目の前にドドン!とそびえるのが、聖ヴィート大聖堂。緻密な彫刻がこれでもかと設置された、遠目からでも目を引くインパクト大の聖堂だ。中もすごかった。高い天井、美しいステンドグラス、巨大な祭壇とパイプオルガン。非クリスチャンの私でもため息が漏れる規模だった。ノーマルチケットでは、王宮などあと3か所を回れるのだが、正直残り3か所はオマケといったところ。とにかくプラハ城観光のハイライトは、間違いなくこの聖ヴィート大聖堂だ。

王宮には、金色の王冠なども展示され、おお!と思ったが、後でこれがレプリカだったと知らされ、ちょっとガッカリ。ただ、高台にあるだけあって、ここからプラハ市街を一望できた。街並みの保存に力を入れているプラハは、さながら中世~近世の都市の景観をよく残していた。オフィスビルなどの近代的な建物は、パリやローマと同様に郊外に建設されているようで、そのシルエットも城から見ることが出来た。

お城の観光を終え、母の待つ喫茶店へ戻る。途中大聖堂の前でウェディングドレスとタキシード姿のアジア人男女を発見。こんな場所で結婚式を挙げられたら、一生の思い出だろう。居合わせた観光客も「コングラチュレーション!」と叫んでいた。喫茶店ではお腹ふさぎにアップルパイを頂く。私は、パイ=焼きたてをイメージしていたため、予想に反してひんやりしていたことに若干戸惑うも、甘味に疲れも癒える。母の足も大丈夫そうなので、プラハ城を後にした。

 

再び22番トラムに乗り、マロストランスカ駅へ。ここで地下鉄M1線に乗り換えるが、まだホテルに帰らず、プラハの中央通り、ムーステク駅に立ち寄る。この構内にあった市民御用達のスーパーマーケットで、今日の夕飯と明日の朝食を購入。私もリゾット(お米!)を見つけたので、買うことにした。ちなみに寿司も売られていたが、中身はサーモンと、カリフォルニアロールだった。一通り買い物を済ませ、地下鉄とバスで元来た道を戻り、ホテルに帰着。ただ室内には電子レンジがなく、リゾットはポットで入れた熱湯に浸しただけで食べたので、せっかくのお米は固かった。

プラハ地下鉄はこんなかんじ

この夜、一つの懸案が片付いた。この先の行程で私達はウズベキスタンも経由するのだが、このウズベキスタンで観光する古都サマルカンドへの電車(往復)のチケットがなかなか取れずにいた。日本にいる段階でキープしていたのが、早朝に首都タシケントを出る便と、深夜に戻ってくる便。最悪これでも大丈夫だったが、できればもう少し遅く出て早く戻って来られる切符が欲しい。そう思ってウズベキスタン鉄道のアプリを毎日のようにチェックしていたのだが、今日の朝、今の列車より30分遅くタシケントを出る特急が数席空いているのを発見。更に夕方、サマルカンドを出る便にも、今取っている便より1時間早く出る特急が、こちらは本当に2席だけ空きが出て、奇跡的に両方を抑えることができた。直前にキャンセルが出る事はままあるようであるが、諦めないことは大事である(当初取っていた便はもちろんキャンセル)。

10/2(木)プラハ(2日目)

 デンマーク、ノルウェー、ハンガリー、チェコと、ヨーロッパで泊まったホテルに共通して言えたことは、部屋の中にある照明のスイッチが分かりにくいという事だ。ベッドの左右に一対のスイッチがあるのに、その一方がドア付近、もう一方はベッド脇の明かりだったりする。そして、どれがどのスイッチだったかを覚える前に、そのホテル、というかその国を出てしまうのだから歯がゆい。

 

今日は2回目の予備日にするつもりだった。次のプラハ→バクー便が、月金土の週3回しか出ていないので、どのみち今日は次へ行けない。朝は昨日買った2個目のリゾットで済ませ(これでは足りないけど)、室内で洗濯などしてのんびり。と思ったが、このホテル近辺には何も無いので、お昼を食べるにはやはり出掛けなくてはならない。出発がゆっくりとはいえ、イスタンブールの予備日のようにはいかなかった。

何度もお世話になった空港~地下鉄バス 上から電気を得ている

 

10時過ぎにホテルを出発。昨日と同様のルートで地下鉄A線に乗る。ちなみに道中のお店でチョコパンを購入。1個(20コルナ=140円位)で十分だったのだが、後ろに母がいたためか、店員さんは2つ袋に入れて、しかも税抜価格だったらしく、50コルナ渡して2コルナしか返ってこなかった。ムゼウム駅でA線からC線へ乗り換えて一駅。ここは初日ブダペストから鉄道でたどり着いた、プラハ本駅である。

さすがは美しい街並みを保存している都市の中心駅。駅外観も宮殿のような見事な外観である。一昨日到着した時はそれどころでは無かったので、今日は駅舎の内外をじっくり見ることができた。駅中にはプラハ本駅をレゴで再現した模型も飾られていた。内装から地下鉄のホームまで忠実に再現されたその様に、レゴ職人の本気度を感じる。

そうこうしているうちに正午が近づいてきた。昨夜、今朝と軽い食事だったので、今日は本格的にガッツリ食べたかったが、見渡す限りどこもサンドイッチっぽいカフェばかり。結局バーガーキングでダブルチーズバーガーを頂いた。母はこれと前後して、ドラッグストアでビタミン剤とウエットティッシュを補充。ちゃっかり私のリュックサックにこれらを入れた。

 

プラハ本駅から地下鉄C線で2駅。I. P. パブロワという駅で下車する。ここから徒歩数分でやって来たのが、ドヴォルザークの博物館。スメタナと並ぶチェコの大音楽家である。入館料が70コルナ(500円位)と安かったこともあり(小銭をだいぶ使えた)、中を見学させてもらうことに。館内そのものはかなり小ぢんまりとしていたものの、ドヴォルザークの曲が優しく流れており、彼の生涯に関する説明やゆかりの品なども所狭しと並べられていた。スタッフの人は親切にも日本語の案内を貸してくれた(誤植も多かったケド)。

ドヴォルザーク「新世界より」などの曲が有名

母は、内装や音楽、ドヴォルザークに縁の深い音楽家スークの写真などに感動し、来て良かったと話してくれた。I. P. パブロワ駅からは地下鉄ではなく、敢えて22番トラムを使う。地下鉄より多少時間はかかったが、マロストランスカ駅までプラハ市内の美しい街並みを眺めることができた。

 ホテルに一度戻り、明日のフライトに関するオンラインチェックインを済ませ、しばし休憩。17時に夕飯を食べにもう一度ホテルを出ようと決めていたが、隣室の母は寝入ってしまったようで返事がない。ならばと、フロントにいたホテルのスタッフさんに、プリンターを貸して貰えないか聞いたところ(宿泊客に限り、印刷やコピー無料とあった)、メアドの書かれたカードを渡され、ここにデータを送ってと言われる。その通りにしてフロントへ向かうと、すぐに印刷物を渡してくれた。ありがたい。この時印刷したのが、昨日新たに申し込んだ、ウズベキスタンの鉄道チケットである。

夜も美しいプラハの中心部

やはり疲れがあったのだろう。母が起きたのは17時半過ぎ。夕飯を食べにホテルを出たのが18時だった。今回で何度目かの、バス・地下鉄乗り継ぎで、繁華街ムーステク駅へ。ここから少し歩いたハヴェルスカー・コルナというセルフオーダーのお店に入る。こうしたお店で本格的な夕飯を食べるのも久しぶりである。私はマッシュルームとビーフのシチュー&ライスを頼んだ。ちゃんとしたお米を食べられたのも久々。ライトアップされたムーステクの通りを見つつ、帰路につく。ムーステク駅地下のスーパーで明日の朝食を買い、チェコ最後の地下鉄旅へ。ここで車内改札(切符のチェック)にでくわす。プラハ地下鉄で切符の確認を受けたのは、最初と最後だけだったことになる。数奇だ。


11カ国目~アゼルバイジャン~(工事中)

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