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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

9カ国目~ハンガリー~

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8カ国目~ノルウェー~

9/27(土)オスロ→ブダペスト

今日はオスロからハンガリーの首都ブダペストへ向かう。実のところハンガリーは、私にとってこの旅で唯一訪問2回目の国である。母は結婚前にハンガリー中央部のケチケメートという町にあるコダーイ音楽研究所で、音楽の勉強をしていた。その音楽研究所が1995年に開校20周年の記念行事を行うということで、前年に祖父を亡くした祖母を含めた5人(私は小学生)でこの国を訪れたのだ。そして30年ぶりの訪問となった今年は開校50周年。しかも何たる偶然か、それを祝う記念コンサートが明日ケチケメートで開かれるのだという。ハンガリー訪問のスケジュールをこのコンサートに合わせたわけでは無いので、正に奇跡的な巡り合わせであった!

 

朝のオスロ空港は霧に包まれていた。今日のフライトは9:30と、この旅で最も早い。それ故に空港の敷地内にあるホテルに泊まったのだが、幸い朝食付き。ここでかの有名なノルウェー・サーモンを食べることが出来た。朝食を7時過ぎまでに終わらせ、空港へ向かう。今回もバッゲージクレームのタグはQRのスキャンで簡単に印刷され、荷物自体もオートでベルトコンベアへ流れていった。出国手続きも不要である。おかげで非常にスムーズに搭乗ゲートまで来ることができた。が、眠い。しかも、9時になっても霧は晴れず、ちゃんと飛ぶのか心配だった。結果的には、出発は寧ろ早いくらいで、離陸もスムーズだった。さすがは北欧。世界一の先進地域というイメージは本物(?)である。そんな先進国ノルウェーのどこかに、私はどうやら帽子を忘れて来たらしい。昨日のオスロを走り回った頃だろうか。安物ではあるが、仙台からずっと旅をしてきた相棒だったので少しガッカリ。

飛行機はあっという間に霧を抜けて青空の下へ。そこからしばらくスカンジナビア半島を南下し、バルト海、そしてポーランドへ。ブロック塀のような長方形の塊に覆いつくされたポーランドの大地。これらはすべてである。農業大国のなせる業であろう。フライト時間2時間はあっという間に過ぎ、眼下にドナウ川が見えてくると、間もなく着陸。幸い荷物は早めに出てきたし、入国審査も不要なので、出口までは20分もかからなかったと思う。ここの両替所でデンマーククローネ、ノルウェークローネを両替できるか頼んだが、やはり受け取ってもらったのは紙幣のみだった。ブダペストのリスト・フェレンツェ空港からは鉄道が無いので、中心部のデアーク広場まで空港バスで向かう。デアーク広場には地下鉄が3本接続されており、M3号線でブダペスト西駅へ。ここから徒歩圏内のホテルにチェックインした。

飛行機から見たドナウ川

 しばしの休憩の後、改めてブダペスト西駅まで歩く。駅とは地下道で繋がっており、信号を気にせず駅前まで出ることができた。今まで見てきた他のヨーロッパの中央駅と同様、ここもホームとの間に改札などは無く、開放的である。明日ケチケメート駅へ向かうため、念のため時刻、行先、料金を確認しておく。どうやら毎時1本ずつ出ているセゲド行きに乗れば良さそうだ。なお、この駅の隣には、世界一美しいマックと称されているマクドナルドがある。今度は地上を通り、コインランドリーを確認。洗濯1500フォリント(670円くらい)、乾燥1900フォリント(850円くらい)か… ちょっと高いかな。

ブダペスト西駅

疲れてきたので、一旦地下道に入り、お店で299フォリント(130円くらい)のパンを購入。現金で300フォリント渡したが、お釣りは返ってこなかった。キャッシュレスなら299フォリント引かれるだけ、みたいなシステムなのだろうか。ホテルに戻ると、母はケチケメートへのルート探し(鉄道かバスか)について悪戦苦闘。彼女が留学していた四十数年前と、バスも地下鉄も全然違うのだから仕方ない。夕飯はもう手持ちの食べ物で済ませたというので、私だけ夕飯を食べに行く。どこへ行くか。やはり世界一美しいマックだな。

I’m lovin’itな店内

というわけで先ほど素通りしたマックでダブルチーズバーガーセットを購入。セルフオーダーの機械は仙台にあるものと同じだ。しかしマジャール語(ハンガリー語)が全く分からないので、カードの読み取り機が中途半端な所で止まってしまい、一瞬戸惑う。が、注文を完了させずにカードを読ませようとしていたことがわかり、何とか先へ進めた。出てきたセットはコーラが巨大で、バーガーの味が少しだけ違うことを除けば、日本とほとんど変わらなかった。値段は2000フォリント(900円くらい)。少しだけ高い。

 ホテルに戻る道すがら、このまま西へ進めばドナウ川にぶつかる事を思い出す。距離にして500m強なので歩くことに。道に沿って行き交うトラムやバスを夕日が照らす中、小さな公園が見えてきた。そこには橋のオブジェがあり、その上にナジ・イムレ(1956年のハンガリー動乱で処刑された政治家)の銅像が設置されていた。これも私が見たい銅像の一つであった。念のため確認したかったのと、地元民と少し話をしてみたかったのとで、「この人はナジ・イムレ?」と翻訳サイトで聞いてみた。しかし返ってきたのは3人連続「知らない」。この近辺を通るのは地元民ではないの??

ナジ・イムレ像 顔は国会議事堂を向いている

気を取り直してドナウ川河畔に出る。ちょうど日没時で、水面はオレンジと水色のグラデーション。来てよかった。

ホテルに戻ると母は明日のチケット取得にまだ悪戦苦闘していた。どうやらハンガリーの鉄道アプリを登録し、お目当ての列車チケットを買おうとしているのだが、PCでの入力がうまくいかず(これは私も困った)、スマホで操作しなおしたらしい。それでも画面がうまく切り替わらなかったり、変なページに飛んだりと、2時間経ってもチケットが取れないのだという。私もアプリを見たが、確かに分かりにくい。

2人とも駅で直接取った方がいいのではと思ったが、彼女の2時間を無駄にするのも悔しいので、最後まで付き合うことに。ホテルの住所を入力するのに、これでいいのかフロントスタッフに聞き、支払い画面で変な方法を選択して、全然先に進まない上に最初からやり直しになって心が折れかけたりしたが、夜10時前にやっと2人分のチケットをゲットできた。母の努力が報われた、そう思いたい。

9/28(日)ケチケメート

今日は、昨日苦労して買ったチケットでケチケメートへ向かう。前述のとおり、母の留学時代生活していたコダーイ音楽研究所で、記念コンサートが開かれるのだ。ただ出発が遅いため、まず私は近くのコインランドリーへ洗濯に行った。コインランドリーの操作には難航したが、地元の人に教えてもらいつつ、無事に洗濯終了。、乾燥は部屋で行えば問題ないと判断し、そのままホテルへ持ち帰った。コペンハーゲンでの経験が利いた~♪

洗濯物を干した後ホテルを出て、10:30ブダペスト西駅に到着。お目当ての列車は12番線に停まっていた。座席指定もされており、少し迷ったが、発射前に無事見つけることができた。セゲド行き特急列車はブダペスト西駅を10:50に出発。1時間強でケチケメート駅に着く。

車内には電光掲示板が設置されており、停車駅と到着予定時刻(遅延前提である!)の案内、右下に現在の速度まで表示されていた。特急だけあって時速120㎞くらいは平気で飛ばすようである。改札は車内で行われ、まわってきた車掌が、母のスマホにバーコードリーダーをピカッと光らせて終了。ブダペスト市内のいくつかの駅に停まると、そこから30分ほど無停車。その間に市街地は住宅地、更に林野へと変わる。この変化が旅の気分を倍増させてくれる。

ケチケメート駅

ケチケメート駅には12時過ぎに到着。先に駅の窓口で帰りの切符を購入し(ネットで買うより割高!)、駅中の小さな店で昼食のパンを購入。駅前の公園でこれをいただく。母のみならず、私もケチケメート駅には30年前に来ているはずであるが、どうも記憶が曖昧である。一方の母は「懐かしい」と駅や公園をカメラで撮影しまくっていた。ケチケメートの中心部まで歩いている間も、これは40年前こうだった、あれは前には無かったと、一人記憶を蘇らせようとしている。これも脳トレになるか(?)

駅前にこのような公園があるのはありがたい

そうこうしているうちに巨大な教会にたどり着いた。ガイドブックには「古い教会」とあるが、母は「大教会」と呼んでいたらしい。中は荘厳そのもの。日曜礼拝は終わったようだが、中で跪き、祈りを捧げている信仰心の篤い人もいた。高い天井にはキリストの神話が描かれ、ステンドグラスやパイプオルガンも立派。今のように物や情報に溢れていなかった時代、このような美しい建物を見せられたら、魂を抜かれてしまうのも納得である。

スピリチュアルな世界

教会の隣にはケチケメートの市庁舎。こちらも色が変わったらしく、あちこちカメラをまわす母。今に始まったことではないとはいえ、さすがに全部付き合わされるのは疲れる。母にとっては思い出の地であるわけだが、コダーイ音楽研究所までは目と鼻の先なのに、あっちをパチリ、こっちをパシャリとしているのだから、いい加減うんざりである。満足して戻ってきた頃には、私はすっかり疲弊してベンチに寝転んでしまっていた。

結局入館したのは午後2時過ぎであった。この建物の入り口と白い廊下。それに四方を囲まれた中庭とそこにそびえる樹。この辺りは記憶にも残っている。しかし各部屋にはパソコンや液晶画面が設置され、中庭の樹は大きく成長していた。時は確実に流れている。今日のコンサートは午後6時からで、館内のスタッフ曰く、今はまだ準備段階でもないらしい。

そこで研究所を出た私達は、近くの喫茶店まで歩く。日曜日ということで、子連れ客も多く、店内は賑わっていた。ここで2時間半ほど休憩。漢字パズルや読書、昼寝などで時間を潰した。さすがに手持ち無沙汰となった母も私の漢字パズルに挑戦。日本語を思い出すのにいいらしい。温かいお茶と、少量ながらスイーツをいただき、元気の出た私達は、5時の鐘とともに再びコダーイ音楽研究所へ。館内では副所長がたどたどしい英語で出迎えてくれた。隣の部屋では現役の学生たちがリハーサルを行っている声が聞こえた。その中一人の女性が母に英語で話しかけてきた。東アジア系の顔だったからだろう。彼女は中国人だそうで、アニメで覚えた日本語も少しだけ話せるようだ。母と音楽だか留学だかの話で盛り上がっていた。

5:40くらいに会場に通される。母曰く、私はここにも来たことがあるらしい。言われてみれば少しだけ記憶があるような、ないような。6時を少し過ぎてついにコンサートも始まる。所長自らがピアノの伴奏に併せて歌い始め、その後はプログラム通り演奏が続く。先ほどの現役学生達が練習していた合唱も最後に3曲披露された。解説はマジャール語だし、そもそも知っている曲は一つもなかったが、どれも美しい歌声で、魅了された。コンサート終了後、50周年を記念した表彰式(?)が行われ、歴代の先生と思しき人々がメダルを贈呈されていた。母もメダルこそ貰えなかったが、OGの一人として呼ばれ、拍手をもらっていた。後にこのコンサートは地元のネットニュースに掲載されたらしい。

式が終わると、母が留学時代に実際顔を合わせていた先生を3人見つけ、再会を喜び合っていた。私もここは3組のツーショットを撮影する側にまわる。とここで所長が、イベントが終わって軽食を食べている学生の一人に声を掛け、私を含めた3人での写真を撮るよう頼んでくれた。この学生さんは現在唯一の日本人とのこと。母も日本人1人という当時の自分を思い出し、また長い自分語り。とは言え今はちょうど9月に始まる新生活が一段落して、気が抜けて大変な時期なのだそうだ。先ほどの中国人留学生さんも話の輪に加わり、最後は2人にエールを送って別れた。

 

ともすれば最後になるかもしれないケチケメートと母校の再訪問。母には気の済むまで写真を撮ってもらい、ケチケメート駅まで戻った。帰りの列車は5分遅れで駅を出発するも、その後も遅れは拡大し、ブダペスト西駅到着は15分遅れだった。とりあえず、この旅における母の“目標”はすべて達成されたとのこと。明日はのんびりブダペスト観光をしたい。

9/29(月)ブダペスト

 乾燥のせいか、ヨーロッパに来てからずっとノドの調子が悪い。洗濯物がすぐに乾くのはありがたいが、早すぎてちょっと怖いとも思う。さて、今日はブダペスト市内を観光する。今回も母とは別行動だ。2人で1枚ずつ1日乗車券を買った後、地下鉄M3号線で着いたデアーク広場で別れる。私はそのままM2号線でコッシュート広場駅へ出て、国会議事堂を撮影。この時間帯はまだ大丈夫だったが、母が訪れた昼過ぎにはここで重要な政治イベント?があったらしく、物々しい警備だったという。壁にはハンガリーの国旗とともにトルコの旗も掲げられていたから、エルドアン大統領が来ていたのだろうか?

ハンガリー国会議事堂

国会議事堂からはトラムで南下し、ブダペストのシンボル、セーチェーニ鎖橋へ。どこから撮ってもインスタ映えするのが、さすがである。この橋も30年前私達がハンガリーを訪れた時にも渡っており、エメラルドグリーンに輝くドナウ川を見た記憶がうっすらあった。

橋を渡って王宮へと赴く。この王宮は丘の上にあり、ケーブカーが走っているのだが、私の持っている券は使えないという事で、すこし回り道し、階段で登ることに。途中、門っぽい所でおじさんに英語で撮影を頼まれたので、快く応じる。が、肝心の入口が見つからない。ガイドブックを見つつあれこれ探すうち、さっきおじさんに撮影を頼まれた所(ぱっと見、外からだと行き止まりのようだった)が、階段の入り口だったことが分かった。

初見殺しの入口 この先右に曲がると階段が

この王宮は中世のお城っぽいが、実際には途中無料のエスカレーターとエレベーターも設置されていたのは、ありがたい反面若干興ざめである。そこから歩いて王宮」、「漁夫の砦」、「マーチャーシュ教会」までを制覇。王宮から直結はしておらず、複雑な道を上ったり下りたりしたが、小径の両側に広がる緑が歩いていて心地よい。王宮や漁夫の砦からは、先ほど見てきた国会議事堂やセーチェーニ鎖橋をはじめ、ブダペスト市内を一望できたので、久々に自撮りもした。

中央のトンガリ屋根の建物が「漁夫の砦」

マーチャーシュ教会

王宮から見た国会議事堂 手前を流れるのはもちろんドナウ川

さすがに疲れたので、“下界”に降りた後、トラムを乗り継ぎ、一度ホテルに戻る。しばし休憩の後、ブダペスト西駅近くのモールで昼ご飯。途中、地元民御用達と思われるスーパーに立ち寄り、水を購入。小銭が使えるかと思ったが、実際にはキャッシュレスオンリー、しかも値札は税別だったらしく、しっかり消費税を別に取られた。モールにはケンタッキー・フライド・チキンがあったのだが、マックと異なりメニューは地元民向けに改変(?)されたもの(なんとパンが紫色!)だったため、私はチキンの入ったバーガーとポテトのセットにしておいた。

歴史を感じる駅と車両

西駅から再び地下鉄でデアーク広場へ、そこから今度はM1号線に乗り換え。この路線は随分歴史があるらしく(世界で3番目に古いらしい)、地下とは言えかなり浅い所を走る上に、車両もレトロで短かった。この列車で英雄広場へ。ここには、アールパード(10世紀のマジャール人の君主)をはじめとするマジャール人の諸君主が真ん中にそびえ、その周りにはイシュトヴァーン1世マーチャーシュ大王(いずれもハンガリー国王)、コッシュート(1848年革命の政治家)など、そうそうたるメンツがずらりと並んでいた。私も興奮しながら像をバチバチ撮っていた。

アールパード像

イシュトヴァーン1世

英雄広場からは歩いてセーチェーニ温泉を訪問。どんな場所かと思っていたら、黄色を基調とした、これまた宮殿のような立派な建物である。正面玄関に入って行くと、入場券はここではなくいったん外に出て、右側の入口で買えるとの事。入館料は値上がりしており、12500フォリント(5千円以上)も取られた。支払後は電子チップの入ったプラスチックのリストバンドを渡され、ここでゲートを通る。この温泉施設では水着の着用が義務なのだが、驚いたのがその着替えの方法である。荷物を入れるロッカーの場所は何と男女共用!ではどこで着替えるかというと、入り口とロッカーの間に個室のチェンジングルームがあり、そこに入ってベンチの一部(蝶番になっている)をひっくり返すと、それがつっかえ棒になってドアが開かなくなる仕組み。そして水着になると蝶番を元に戻してドアを開け、ロッカールームに行くというワケ。これは面白かった。

このロッカーも、入口で渡されたリストバンドの電子チップで施錠する仕組み。意外にハイテクである。さて、念願のお風呂である。半分プールとはいえ、暖かいお湯につかるのはベトナムの宿以来。温泉は複数個所に設けられており、それぞれの湯船には温度に違いがある。今日は涼しかったので、ぬるま湯の温泉には全然人がいなかった。外にはより大きな浴場があるが、2つの内1つは工事中で、有名なチェス盤も見当たらなかった。驚くことにスマホは持ち込みOKである。だから各温泉の様子を平気で写真に撮る人がいた。私もさすがに他のお客さんの水着姿を撮るのははばかられたので、全体像を少しだけ撮るにとどめた。

お湯に浸る幸福な時間を過ごして、ホテルへ戻る。母も間もなく戻って来たが、前述の国会議事堂の件で大変だったらしい。夕飯は軽いものでいいというので、私が再びモールまで行き、自分用にはチキンスープをライスにかけたハンガリー料理(?)を、母には大きめのサンドイッチを購入。更に元職場へのお土産用にチョコレート詰め合わせを買った。私のご飯は本来イートイン用だったらしく、袋はおろかフタも無い状態。これをエコバッグに入れて慎重に運んだが、案の定部屋に着くまでにソースが20%ほどこぼれていた。


10カ国目~チェコ(一部スロバキア)~(工事中)

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