13カ国目~韓国~
10/8(水)仁川→ソウル
この旅で見聞きしていたことをベトナムから振り返っているうちに、ウトウトしていたようで、体を起こすともう離陸から4時間も経っていた。すぐさまCAさんが「食べますか?」と聞いてきたので、朝食を頂くことに。隣ではまだ母が眠っていたので、電気は最小限。ふと外を見ると、下は雲海だが、かすかに太陽の光が見えた。朝食はパン、サラダ、魚、チーズを中心とした、あっさりながらボリューミーな内容。一番美味しかったのは、やっぱりお茶だった。

食事とトイレを済ませ、また眠たくなったので20分ばかり仮眠。もう一度アイマスクを外した時にはすっかり明るくなっていた。ここで座席の脇にリモコンがあるのを見つける。離陸時に自動で流れた安全ビデオの後、前のモニターはずっと消灯していたが、このリモコンで画面を表示でき、映画や現在地を見ることができることに、着陸1時間前に気づく。まあ大部分は寝ていたのですが。今更ながら現在地を表示すると、もう飛行機は中国を抜けて黄海上空に出ていた。高度も次第に下がり、雲も晴れると、確かに海の上。小さな島々が見えてきて、予定より十数分早く仁川空港に到着した。
しかし到着時になって、外国人は入国カードを書く必要がある事を知り、これにモタついたのと、並んだ入国審査の列が悪かったのとで、結局審査を終えて荷物を回収したのは1時間後だった。審査の際、写真撮影と指紋採取が行われたが、日本のパスポートを渡したことで、機械の案内も日本語になってくれたのには、地味に感動した。そのほか空港や駅の案内にも日本語表記、両替のスタッフやカフェの店員さんも日本語を話してくれて、安心感が大きい。

仁川空港の駅
空港内でしばらく休んだ後、空港鉄道に乗る。券売機に地下鉄の番号(ガイドブックに載っていた)を入力するだけで、そこまでの料金が表示され、お金を払うとカードが出る仕組み。このカードにはデポジット料金が含まれており、下車した駅で機械にカードを回収させると、その料金が返される仕組みになっていた。最終日の事を考え、仁川空港からは各駅停車に乗る。ここでも韓国語、英語、中国語、日本語の案内が順になされていた。久々の日本語の機械音声に、逆に違和感を覚える。アゼルバイジャンやウズベキスタンには、そんな案内無かったからなぁ~

ソウルに近づくにつれ、たくさんの超高層ビルが見えてきた。ソウルも1千万都市であるが、同じ規模のイスタンブールやカイロよりはるかにビルの数は多い印象である。それでいて緑地も多いのは嬉しい。この列車は、ソウル中心部に近い金浦空港(後に利用)の駅にも停まってくれるので、ここで下車。本当はここから空港ターミナルまでの道のりを確認したかったが、一旦改札を出る必要がありそうなのと、疲れているのとで断念。ここで地下鉄5号線に乗り換えて約30分。連休のためか混雑する中、新吉駅に到着。今日停まるホテルはここが最寄り駅である。今日のソウルは晴れていて、意外と暑かった。
今回お世話になるホテルのスタッフもありがたいことに日本語を理解できる人だった。さすがは日本でも屈指の有名なホテルチェーン、東〇イン。日本人利用客も多いのだろう。ただしチェックイン出来るのは15時。今は12時過ぎ。ここで3時間も待つのか、とウンザリしてしまう。特に母は久々の夜間フライトによる疲労で体調が芳しくないとの事で、とりあえずラウンジで休んでもらう。
ホテルに母を残し、私は単独行動を試みる。近くにコインランドリーとセブンイレブンを発見できたのは良かった。ホテル前には大きな交差点があり、誘導員のおじさんが車をさばいていたのだが、2人のうち1人がエラくハイテンションで車を誘導しており、ちょっと腰が引ける。セブンでは、これまた久しぶりのオニギリを購入。海苔こそ韓国海苔であったものの、懐かしいツナマヨが口に広がった。幸いホテルのカードキーは予定より早く14:30に貰えた。部屋は今までのものと比べるとやや手狭であるが、バスタブ付き。嬉しい!
早速風呂に入って、昨夜の疲れと汗を流すと、ホッとしたためか眠くなる。何となく昔経験した「夜勤明け」がこんな感じだったな。16:30頃母に起こされ、夕飯に出掛けることに。歩いて数分、永登浦の駅ビルに入っていたレストランで、ビビンバとスンドゥブをいただく。どちらも美味しくて、それ以上に東アジアに帰ってきたことを実感。仙台の韓国料理店にはよく行くので、これらの料理は食べ慣れてはいるものの、やはり本場は違う。特にキムチの食べやすさは日本のもの以上だった。

帰りは敢えて地上までエスカレーターを使ったが、ハングルで書かれている事を除くと、日本のデパートとほとんど変わらない。ホテルに戻った後、先ほど見つけたコインランドリーで、洗濯と乾燥を済ませる。これで最終日まで安心。だが、午後8時を過ぎるとまた眠くなり、仮眠を繰り返すこととなった。夜通しのフライトはもちろん、ウズベキスタンとの4時間の時差も多少影響しているのかもしれない。
10/9(木)ソウル
二度寝、三度寝のため珍しく寝坊してしまった。母に起こされ8時過ぎに朝食会場へ行くと、すでに多くの人で賑わっており、そのせいであまりゆっくりとはできなかった。今日は「ハングルの日」という祝日だそうで、子連れも多かったのだ。

朝9時過ぎにホテルを出発し、ソウル中心部へと繰り出す。新吉駅で一日乗車券(気候同行カードというらしい)を買おうとしたが、券売機に項目はなく、駅員さんもそもそもいなかったので、仕方なく目的地の駅まで1回券を買う。5号線に乗り、光化門駅で下車。改札を出てすぐの場所にあったセブンイレブンのオバサマに聞くと、気候同行カードを出してくれた。地下鉄の一日乗車券をコンビニで買えるというのは意外である。ただしその後何日ソウル観光するのか?と聞かれ、今日だけで明日帰ると答えると、だったらこっちの方が良いと、Tマネーカードという券を渡された。ついでに1万ウォン(約1000円)出してと言われ、その分をコンビニでチャージしてくれた。こちらはSuicaのようなもので、チャージ分だけが改札の都度引かれるというものらしい。

台座にはハングルで「世宗大王(セジョンデワン)」と書かれています
狐につままれた気持ちで外に出ると、真正面に世宗大王の像が。私はつい知り合いと会ったように「あ~、いた!」と叫ぶくらいのテンションになる。やはり世界史の人物は重鎮であっても、なかなかその国でしかお目にかかれない。更に世宗の像の後ろでは、大勢の市民が半紙に墨で文字や絵を書いていた。「ハングルの日」のイベントだったようである。何しろ挑戦第4代目国王の世宗は、ハングルの生みの親なのだ!

韓国の書道も日本とほぼ一緒
その為か人は多く、私も地元の人に写真撮影を頼まれ、お返しに母と世宗大王像をバックに撮影してもらった。その奥には景福宮の立派な光化門がそびえる。しかも時刻はちょうど10時になる頃で、当時の衛兵交代式を再現したイベントが行われていた。これを見られただけでもラッキーだったが、景福宮の入場が、今日まで(韓国では10/3~9が連休)無料になっていて、これまたラッキーであった。

ちなみに一般の日でも、子どもや高齢者に加え、韓国の伝統服を着た人は入場無料なのだとか。そのためか、敷地内にはチマチョゴリを来た女性(子どもや外国人も多かった)があっちにもこっちにも。このような伝統衣装のレンタルは、ワット・ポーやレギスタン広場でもあったが、景福宮は群を抜いて多かった印象である。

衛兵(守門将)の交代式

その景福宮。朝鮮国王の住まいであるが、日本の寺院や古い建物と比べても、やはり少し異なるデザイン。恐らく中国のそれとも違う、韓国独自の様式なのだろう。その色使いや反った屋根の構造、取り付けられている竜(?)の石像などに、朝鮮文化のユニークさを感じさせる。中でも19世紀に建てられたという慈慶殿にはオンドルが組み込まれているそうで、しかもその時出た煙をひとまとめにしている構造には舌を巻いた。

〇で囲った部分に並んでいるのが煙突。各部屋につながっている。
ここまでは母と2人で廻ったが、敷地内は思いの外広かったので、そこから北側は自分一人で探検。池に浮かぶ香遠亭や、北端の神武門より見える大統領府(青瓦台)などをカメラに収めた。曇っていたが、風は心地よく、歩き回っても汗は出ない、ちょうどいい天気だった。

香遠亭
広大な景福宮は出るのにも一苦労したが、光化門を出て右側に同名の駅があるので、そこからまた地下鉄に乗車。お昼時だったので、友人に勧められた肉典食堂というお店で焼肉ランチにしようと思う。景福宮駅→鍾路3街駅と乗り継いで、新設洞駅で下車。一番近い出口まで歩き(意外と長い)、外へ出る。
が、その場所に行ってみると、移転したとのこと!幸い移転先は比較的近く、しかもすぐに入ることができた。人気店なので行列が出来ていると思っていたが、ランチタイムはそこまでではないのか、空席も多い。しかし店員さんには流暢な日本語を話せる人が多く、注文をする前に、キムチやサラダ、何種類ものタレ、塩、みそ、ワサビなどを用意してくれる(しかもこれらはおかわり自由)などサービスは良かった。私達はサムギョプサル2人分を注文。店員さんは火をつけた鉄板の温度を代わる代わる確認し、その間に大きな肉の塊とエリンギが用意された。鉄板の上には煙を吸収する管が降ろされる。これも韓国焼き肉の定番である。

一方私達にはエプロンが渡され、鞄もビニール袋に入れてくれた。鉄板が十分温まるといよいよ肉とエリンギの投入。お肉の表面が焼けてくると、鋏でチョキチョキと、慣れた手つきで肉を細かく切断し、その切り口も焼いてくれた。焼き上がったお肉の、最初の一切れは塩で食べて、と言われ、少し付けて食べる。ジューシーな味が広がる。今まで多くの国を巡ってきたが、ウズベキスタン、韓国と、最後の2カ国で、グルメ旅という要素がしっかり組み込まれてしまった。
本格的な焼き肉店でサムギョプサルを食べたのは初めてだったかもしれない。美味しい体験をさせて貰った友人には感謝のLINEをし、今度は鍾閣駅へ。この先にある仁寺洞は、十数年前母が友人(日本人)と旅行した時に訪れ、印象に残った場所だという。実際歩いてみると、一見日本の原宿のような繁華街のようだが、その中に伝統的な和紙や筆、茶器などを売っている店が目立つ。

決して店自体が古いわけでは無いのだが、狭い路地にこのような商品が並んでいるのは、どこか懐かしい気持ちにさせられる。私も記念に、ハンガリー辺りで紛失した扇子を買い直した。これで母は韓国でのノルマを達成したとの事で、ホテルに戻ることに。私は途中のソウル駅で別れ、ここから単独行動となる。

ソウル駅
まず地上に出て、ソウル駅KTX乗り場へ。今回の旅でKORAILは全く使わなかったのだが、やはりこの国の高速鉄道とそのターミナルにも興味があった。2Fの電光掲示板には、プサンをはじめとするKTX(韓国版新幹線)の行き先が書かれており、その奥には実際に電車の停まっているホームを見ることができた。
続いてここから歩いて向かった先が南大門。私が未だに韓国のランドマークと思っている場所である。今では高層ビルと大通りのただなかに、門だけがポツンと残っている状態であるが、その大きさは想像以上だった。そして門があるということは、かつてのソウル(当時は漢城?)が、ここまで城壁で囲まれていたのだということが分かり、ソウルの歴史とその違いを痛感させられる。ラッキーなことに、ここでも朝鮮王朝時代の門番に扮した男性が、当時の様子を再現するミニイベントを行っていた。

南大門を抜けると、そこはまた高層ビル群。ソウル駅から徒歩圏内なのだから当たり前であるが… ただ、こうした近代的ビルの一方で、南大門市場と呼ばれる繁華街では、庶民的なスイーツや雑貨がたくさん売られており、活気に満ちていた。その脇を歩くこと十数分、今やソウルでも屈指の有名観光スポット、明洞に到着。私に韓国コスメや韓流スターのグッズに対する知識は皆無なので、その雰囲気をちょっと見て数分で退散。ここに来たのには、もっと別の意図があるのだ。

それがNソウルタワーに登ることであった。明洞の町から南へは登り坂が続いているのだが、その先に南山公園という小高い丘があり、その頂上付近に高さ200mを越えるNソウルタワーがそびえている。タワーへはロープウェイで行くことができるらしいが、料金がそこそこ高めなので、明洞の町中にあった両替機で10ドルを13000ウォンに替えておく。南山公園の入口には長蛇の列が。まず地上から無料のエレベーターでロープウェイ乗り場に行けるらしいが、これが意外と小さく、列をさばき切れていなかった。行列に並ぶのが嫌いな私は、2本の足で脇の山道に挑む。すると、案外簡単にロープウェイ乗り場まで登ることができた。しかしここからが本番。案の定というか、ロープウェイ乗り場にはそれ以上の大行列が出来ていた。

この山を登る(ひぃ~!)
ロープウェイを使わないで上まで行けるのか、近くを探していたところ、Nソウルタワー1.2㎞という看板を発見。1.2㎞なら歩いて登れるかなと、無謀にも徒歩での登山を試みる。が、これは本当に無謀な挑戦だった。行けども行けども階段は続き、すっかり息が切れて座り込む。他にもお客さんはいたが、上りより下りの方が明らかに人数も多い。しかしここまで来たからにはと、根性で登りきる。結局20~30分は登山を続けていたと思う。ようやくロープウェイの山頂駅が見えて来る頃には、さすがに帰りはロープウェイ使おうかと思うようになるくらい足が痛くなっていた。どうしようかと考えつつ最後の階段を上り、目の前にNソウルタワーが姿を現した。
この場所は思いの外、徹底的に観光地化がなされており、展望台以外にも、カフェやお土産屋などが所狭しと並んでいた。地下階への階段を降り、展望台へのチケットを買うと、「50分待ちですが、いいですか?」との事。現在が16時ちょうどくらい。母をあまりに待たせたくはなかったが、ここまでの苦労を無にしたくなかったので、待つことに。息切れしていたので、どのみち休息は必要だった。とりあえず母には、18時に昨日と同じビルのレストランで集合、とメッセージを残し、待つことに。この間にスマホに残っていた旅の写真を、成田から順にめくる。13もの国を巡ったこと、今日が事実上の最終日だということに、実感がわかないというのが正直な気持ちである。そうこうしている内に時間が来て、ようやくエレベーターに乗れることになった。
と思ったらまた行列。しかも奥では写真撮影が行われていた。どうやらここで撮った写真を、後でタワーをバックにした綺麗な風景写真と合成できるサービスなのだそうだが、私には全く無用の長物!実際撮影をスキップしてさっさとエレベーターへ向かってしまう人もいたので、私もそれに倣って撮影をスルーした。ようやくタワーの展望台へ。そこでは思わぬ出会いがあった。当然眺望は素晴らしく、地上からは見えなかった漢江やロッテタワーも見渡すことができたのだが、それに加え、各窓ガラスには「Tokyo 〇〇km」などの都市名が表示されていた。ここから各都市への方角と距離を示したものだろう。その中にハノイ、バンコク、コロンボ、コペンハーゲン、プラハの文字を発見。全部ではないものの、今まで巡ってきた都市の名前をここで見ることになるとは。やはりここに登って正解だった。

今や懐かしコペンハーゲンの表示 ウランバートルと同じ方角なのか…

大都市ソウルを遠望 左側の大河が漢江 その奥の超高層ビルがロッテタワー
旅の総括(?)ができたので、Nソウルタワーを後にする。時刻は17時過ぎ。結局ロープウェイの大行列は変わっていなかったので下りも徒歩にした。さすがに上りよりは楽であるが、足には確実に負担が来ていた。もう少しでロープウェイ登り口、という所でバス停を発見する。Tマネーカードはバスにも乗れるし、ルート上には地下鉄駅もあったので、利用しようと決めた。ところが…
バスは数分後に来たのだが、なんと私を含む大勢の待ち客を無視して行ってしまった。見ると車内は混みこみ(ここが始発ではない)。だから乗せられなかったのか… だとすると、これ以上待っても同じようにスルーされる可能性が高い。そう踏んだ私は、自分の身体に鞭打ってバス停を後にする。ここから駅まで最も近いルートを選んで歩くと、案外早く明洞駅に着けた。やはり下り坂だったのが大きい。

車窓から見た漢江
ロープウェイ代が浮いたので、地下のお店でクロワッサンのタイ焼き2つ(ミルククリームとマンゴークリーム)を購入し、地下鉄4号線へ。ソウル駅で1号線に乗り込み、18時過ぎに母との待ち合わせと決めた永登浦駅(新吉駅の隣)で下車した。この1号線も混雑していて、全く座れなかったが、5号線と異なり、ソウル駅から地上を走ってくれたので、外の景色、特に漢江を見られたのは良かった。母と合流後、昨日とは別のお店で冷麺をいただく。盛岡冷麵とは異なる、長くて嚙み切りにくい麺は、付属のハサミで切って食べた。

この旅最後の晩餐
10/10(金)そして、帰国
今朝は6:30のアラームで起きる。いつもアラームより前に起きてしまうので、事実上の寝坊である。昨日の無茶な徒歩移動と、それにもかかわらずなかなか寝付けなかったのが原因だろう。早朝のソウルは曇天。路面も濡れていた。7時過ぎ、母を起こしに部屋をノックするも、反応なし。まさか最終日に?と一瞬アホな想像がかけめぐったが、フツーに母も寝坊しただけのようだ。昨日ほどではないものの、混雑したホテルの会場で朝食。レパートリーの中に味噌汁があったのがありがたかった。
朝9時過ぎホテルを出発。昨日見ていた予報で、雨を懸念していたが、幸いこの時間帯はほとんど気にならない程度の雨。本当にこの旅は天候に恵まれていた。新吉駅から地下鉄5号線に乗り込むが、中心部から離れる方面で、ラッシュも一段落した時間という事で、今回は座れた。一昨日のシミュレーション通り、30分で金浦空港駅に着いた。ここから地下道で空港の敷地へ向かうが、動く歩道がなぜか全部点検中か故障のために使えなかった。
昨夜おこなったオンラインチェックインがうまくいったのか良く分からなかったので、下の階でチェックイン開始時刻を待つこと20分。今回乗るANAのカウンターにはすでに行列が出来ていた。さあ並ぶか、と思ってふとエスカレーター横の機械に目が留まる。「セルフチェックイン」とあるではないか。パスポートをかざすだけで今日のフライトを確認でき、ついでにマイレージの番号を手入力すれば、あとは自動的に紙チケットが印刷された。早い!しかもこれを持っていれば、荷物預かり専用の列に並ぶだけでよいので、とてもスムーズだった。日本の会社は効率化と時間短縮に命を懸けているな。と、ここで今までになかったチェックが。預けたスーツケースがちゃんとX線を通して運ばれていったかをモニター確認してほしい、との事だ。ロスバゲ対策だろうか。
その後出国審査は機械にパスポートを読み取らせるだけ。ドバイにも似たような機械があったが、これはもっと普及して欲しい。手荷物検査はさすがにそのようなワケにはいかなかったが、これまでの経験上、予め財布や時計も外し、PCもすぐ出せるようにスタンバイして臨んだため、簡単に通ることができた。空港スタッフが日本語でサポートしてくれたのもあったが、何しろ私達はこれまで10回以上飛行機に乗ってきた“経験”を持っているからね。かくして、今まで以上に楽々とセキュリティチェックをパスし、ゲートまで来られた。
搭乗まであと1時間。母はお土産屋で韓国茶を買い、私はスタバの抹茶ドリンクを飲みつつ、日本から持ってきた小説を最後まで読む。今回の旅で日本からは、4冊の小説(うち2冊は上下巻なので3種類)を持参したが、最終日に最後の本を読み切れたのは、感慨深かった。12:00になって優先搭乗が始まり、それが終わった所で、予定より2分早く一般の搭乗も始まる。乗客の搭乗も早くに完了したのか、飛行機も予定より早く動き出す。外では朝より雨脚が強くなっていたので、あの時間に出て正解だったようだ。

ANAの「安全に関する案内」はまさかのポケモンとコラボ。ベトナム、エジプト、ウズベキスタンと、その国らしさを映像に落とし込んでいたが、日本の場合は世界のポケモンか。ふさわしいといえばふさわしいけれど… 結局飛行機は、出発予定時刻の12:40ピッタリに離陸した。
今日の韓国は一面雲海の下だったものの、予想通りANAの座席にはモニターがあり、現在地を教えてくれる。それによればソウル出発後、朝鮮半島を横断し、平昌付近を経由して日本海に出た。これにて、少なくともオスロ以来、ずーーっと滞在していたユーラシア大陸に別れを告げる。
ソウルと東京を直線で結ぶと、福井県上空で本州に入るはずだったが、気流の乱れか何かを回避するためか、実際にはより南を通り、鳥取市付近で“入国”。その直前には一時的に雲が晴れ、宍道湖と松江市、中海が見えた。そのまま兵庫県を横断。遠方に姫路市と思われる市街地を望み、その後は琵琶湖南端を通ったようだが、その手前、京都あたりでまた下界が一面の雲になってしまった。飛行機は四日市市付近、伊勢湾、三河湾、豊橋市、浜松市、駿河湾、伊豆半島を通って、房総半島上空で方向転換。着陸直前には、9月8日に京成スカイライナーの車窓から見えた東京スカイツリーも確認できた。飛行機は予定より20分も早い14:30頃、羽田空港に着陸した。

帰ってきてしまったな~
自国民の入国審査は非常にあっけなく終わり、荷物回収後、機内で予め書いておいた税関に関するカードを提出すればもう自由の身。15時過ぎの実家最寄り駅行きのバスに間に合ってしまった。母はこの期に及んで水を買いたかったらしいが、まあ1時間くらいは我慢してもらおう。しかし道中、人工島同士を隔てる海峡を見てイスタンブールを思い出し、巨大なブリッジを見てハノイを思い出し、高速道路の長い陸橋を見てカイロを思い出す。旅の記憶がこんな形でフラッシュバックしてくるとは思わなかった。バスは横浜ランドマークタワーを遠望しながら、高速道路をひた走って、16:20予定の駅に到着。降り場には、いち早く帰国していた父が待っていてくれた。
実家で数日過ごし、私が仙台のアパートに戻ったのは10月14日。心配していた郵便受けの破裂は幸い起きていなかった。
まだ続く?