世界史と世界地理の、かわいいイラスト付きブログ

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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

8カ国目~ノルウェー~

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7カ国目~デンマーク~

9/25(木)コペンハーゲン→オスロ→リレハンメル

今日からついに旅の後半戦である。早朝、コペンハーゲンの宿を後にし、中央駅へ。最初の行程では失敗した切符のカード購入であるが、カードの挿入ではなく、タッチでうまくいった。訪問時より確実に経験値は溜まっている。間もなくやって来た列車で空港へ。

さすがデンマーク。レゴの本場

今日から暫くはシェンゲン協定を結んだ国をめぐるので、しばらく出入国の審査は不要である。コペンハーゲン空港ターミナル2の奥まった場所にあるカウンターでは、イスタンブール空港同様QRコードを読み込ませただけでスーツケースタグが出てくる。これをセルフで結び付け、後は既定の場所にスーツケースを置き、バーコードを読み取るだけ。スタッフの入る余地はなかった。近い将来このような手続きが当たり前になるのだろうか。荷物のセキュリティチェックはさすがに人の手が入ったが、数日前にドローンの襲来があったにしては、割とあっさり。そのままゲートに入ることができた。

 

ここで残りのデンマーククローネを使おうと、水やコーラを購入したが、ここで問題が。これまでベトナムからトルコまで、記念に紙幣を1枚は残しており、デンマークでも50クローネ札を残そうと思って買い物をしたつもりであった。しかし、返ってきたお釣りはコインばっかり。どうやら50クローネ自体あまり流通していないらしい。重いコインが100クローネ分以上余ってしまった。これは作戦ミス。しかしわざわざ紙幣を引き出すのも馬鹿馬鹿しいし、コインで妥協するのもなんか悔しい。ダメ元、迷惑を承知の上で、レジの人に「20クローネコイン5枚と100クローネ紙幣を交換できないか、記念に持ち帰りたい」と頼んだところ、幸いにも両替してもらった。ありがとう!

オスロ行きの飛行機は、ほぼ予定通りに出発し、離陸。飛行時間1時間程度と、この旅で最も短い空路である。飛行機はデンマークとスウェーデンの海峡に沿って飛んでいたため、車窓の右側には常にスウェーデンの大地があった。一方、眼下には僅かにデンマーク(シェラン島)が見えていたが、2日前に訪れたクロンボー城の真上を飛んでくれたようで、嬉しかった。

 

オスロ空港には予定より早く着陸。前述の通り入国審査も不要である。荷物も比較的早く回収できたので、極めてスムーズに空港エントランスに出られた。そこでは、エヴァ達とは別の母の友人トゥナが待っていてくれた。今日はこの先、彼女のお世話になりっぱなしとなった。

空港からトゥナの車で2時間ほど。雄大な自然に心を動かされつつ、ミョーサ湖の北端に広がるリレハンメルに到着。この小さな町には1994年冬季オリンピックが開かれたという歴史があり、市内にはオリンピックミュージアムという施設もある。まずはここに連れて行ってもらい、館内のカフェでお昼ご飯。その後、ミュージアムに併設されている公園(無料)を案内してもらった。ここにはノルウェーの伝統的な家屋が移設、保存されており、中でもノルウェー独自ともいえる木造教会には目を奪われた。

教会内にはちゃんとイエスの祭壇やオルガンも設えられていたが、同時に古い日本家屋にあるような“欄間”の構造も見られ、不思議な縁を感じた。それ以外の建物も基本木造。ここはリレハンメル市民にとって憩いの場のようであるが、木造の建物には日本人の私にも馴染む。そして公園内の樹々はもう黄色や赤に色づき始めていた。つい1週間前まで30℃越えの場所にいたとは思えない。

ヤギも放し飼い?

続いて山を登り、スキージャンプ台まで赴く。この途中で印象に残ったのが、ノルウェーの車には結構な確率で、後ろにもう1つ台車のようなものがくっついている、という事。超小型のキャンピングカーを牽引しているようなイメージだろうか。日本ではなかなか見られない光景である。さて、たどり着いたジャンプ場であるが、想像以上にデカい。恐らく今も現役であるこのジャンプ台からは、31年前原田選手や葛西選手が飛んだんだな… 高い所に設置されているだけあって、眺望も抜群。街や湖が一望できた。ただ、それだけに、ここから飛ぶのには勇気がいるな。

リレハンメルのスキージャンプ台

2つの名所を廻って、トゥナのご自宅にお邪魔する。家では旦那さんのヴィゴーが待っていてくれた。彼は建築家であり、この家のリフォームも自分で手掛けたそうだ。この家のウッドデッキからもミョーサ湖が見られたし、周囲には樹々がたくさん。住むには最高の環境だろう。室内には絵画がたくさん飾られていた。さすがはアーティストである。母とトゥナはここで、40年以上前の話に花を咲かせていた。夜は近くのレストランでご馳走してもらった。私はトナカイ肉のソテーに挑戦。若干硬めではあったが、おいしく完食できた。

9/26(金)リレハンメル→オスロ

心地よいベッドで目が覚めたリレハンメルの朝。今までのホテル以上に眠れた気がする。やがて日が昇ると、ミョーサ湖周辺に靄が立ち込めていた。ここは湖畔の宿のような個人宅である。頃合いを見て階段を降りると、トゥナがパンを買いに行ってくれるという。まだ外は寒い。間もなく戻ってきた彼女と朝ごはんの準備。私も用意してくれたパン皿や食器をダイニングに運ぶくらいは手伝えた。ゲストが来た時あるあるであるが、朝食はボリューミー。パン、チーズ、シリアル、ハム、ジュース、フルーツが所狭しと並び、4人ではとても食べきれない量だった。

母、ヴィゴー、トゥナ

今日はオスロ空港近くのホテルで荷物を下ろした後、改めてオスロへ行く算段だった。当時リレハンメルからエイツヴォル(オスロとリレハンメルの間にある町)までの鉄道が運休中だったのだが、代わりにバスでエイツヴォルまで行き、そこから鉄道で1駅行くと空港駅だという。デンマークと同様ノルウェーでも公共交通はゾーン制を採っているらしく、チケットもアプリで購入できる。しかし、ここでトゥナの娘婿さん(音楽家)が時間を作れるというので、急遽予定を変更して、彼の家に向かう。夫妻が温かく迎えてくれたこの家も湖に面しており、ロケーションは抜群。部屋には世界地図が飾られており、今まで行った国や街にピンが刺してあった(日本は未訪問のようだ)。一方で2人は私達の旅のルートに驚き、私のリサーチ能力にも感心してくれた。母は彼の音楽スタジオに感銘を受けていたようだ。

ミョーサ湖

長居をさせてもらった後、ヴィゴーとは自宅で別れ、トゥナが空港まで送ってくれることになった。リレハンメルから空港まで100㎞以上あるが、曰く運転は楽しいから大丈夫とのこと。しかもお土産にサラダとパンまでくれた。至れり尽くせりである。ミョーサ湖沿岸を走る車。周辺はひたすら針葉樹の林と、時折見える畑や牧草地。天候は基本晴れていたが、場所によっては霧が立ち込めるミステリアスな箇所もあった。道路と並行した歩道では、クロスカントリースキーの練習をする人々が。リレハンメル市内ではよく見られたが、普通の歩道で行っている人も少なくなかった。話に夢中になっていたトゥナは、途中2回も道を通り過ぎてしまい、結局空港には午後2時過ぎに到着。ここで涙の別れである。デンマークでのエヴァ達と同様、“See You” の言葉でお別れ。お世話になりました。

空港から徒歩5分のホテルに荷物を置き、いよいよオスロ中心部へ。といっても普通列車でさえ、2人で2700円もする。特急だとその2倍である!しかし値段をかけている分、スピードは速く、普通列車ながら日本の在来線特急並みの体感スピードでぶっ飛ばしてくれた。広大なオスロ中央駅で母といったん別れ、彼女は憧れ(?)のムンク美術館へ。私はノーベル平和センターへ赴く。といっても、後者はあと1時間半で閉館なので、トラムと自分の足で先を急いだ。センターに着いたのは、閉館1時間前の16時。だが結果的には1時間で十分中を見学できた。入館料が50→60クローネに上がっていたのには戸惑ったが、嬉しかったのは、2024年に受賞した日本原水爆被害者団体協議会が大きく取り上げられていたこと。その一角に、折り紙で鶴を作るコーナーが設けられていたので、私も2羽ほど折らせていただいた。そのほか、歴代のノーベル平和賞受賞者(マザーテレサやマンデラなど)や、ノーベル自身の肖像画をたくさん撮影させてもらった。世界史ヲタク冥利に尽きる。

その後トラムでムンク美術館へ向かうが、母からのLINEで、こちらも入館料がガイドブックに載っていた金額より40クローネも上がっているらしい。しかもセキュリティチェックまであるというので、そこまでして「叫び」を見る必要はないかなと、自分は外観だけ見て中はパスする旨を母に伝える。美術館の横には、オスロのオペラハウスが建っており、屋根の上に登れる構造になっていた。それなりに急な坂道を登るのは大変だったが、夕暮れ時のオスロ市街と港を見ることができた。

ペラハウスから見たオスロの街と、そこに現れた巨大カモメ?

一方、母からは数十分経っても返事どころか既読もつかない。まあ返事が来るまで待つのも勿体ないので、切符が有効なうちにもう1か所、ノルウェー王宮へ行くことにした。美術館最寄りのビョルヴィカ駅からはT13線とT19線が出ている。王宮へはここから3駅でたどり着けるのだが、どちらか片方は、途中で別の路線に入ってしまう。駅にたどり着いた時、T19線が目の前を通過したばかりで、仕方なく待つ。次に来たT13線を見送る。そう、この段階で、私はT19線に乗る予定だった。しかし改めてガイドブックを見てみると、王宮へ向かうのは、今見送ったばかりのT13線!ここに来てアホな勘違いである。結局10分ほど時間を無駄にして、T13線に乗り込み、王宮へ赴いた。

テッペンにノルウェー国旗が掲げられている!ハズなのだが・・・

さすがは王室のお住まい、立派な建物であるが、中にまでは入らない。というのも、ここに来た最大の目的は、ノルウェーの国旗を撮ることにあった。実は今まで訪れたベトナムからデンマークまで、1枚は国旗を撮影し、その国を訪問した証拠として保存していた(サムネイルに使用している写真)のだが、どうもオスロ市内には国旗が見当たらなかった。そこで王宮など国の重要な場所なら、はためいているだろうと思ったのだが、そしてその読みは当たっており、王宮のてっぺんに国旗が掲げられていた、ように見えたのだが、残念ながらこの時のオスロでは風が弱く、国旗は柱にクタっともたれかかっていた。これではどこの国旗かまったく分からない。

 

ここでようやく母からのLINEが来たので、急いで美術館へ戻る。ただ今度来たトラムはT15という、先ほどの駅を通らない列車だった。構わず乗り込み、分岐点で降りるはずが、なぜかその次のオスロ中央駅まで行ってしまった。仕方がないので、ここからダッシュで美術館へ向かい、息も絶え絶えながら母と合流。彼女は美術館を堪能できたらしいが、館内のWi-fi環境がイマイチで、メッセージを受信できなかったらしい。ムンクの絵画をプリントした絵はがきを何枚か購入し、帰路へ。と、途中レストランにノルウェー国旗が掲げられているのを発見。これで一応ノルマは達成できた。

先ほどの駅からトラムでオスロ中央駅、そこから在来線のエイツヴォル行きで空港駅へ。ここはアプリで出発時刻も調べられたので、スムーズにできた。何しろ、行き先が書かれていても、そもそもそこがどこなのか、空港を通る路線なのかが分からないので、出発時刻が頼りである。鉄道なら海外の移動でも楽ちん、と思っていた私が浅はかであった。ホテルには19時過ぎに到着。トゥナから貰ったパンとサラダで夕飯とした。物価が高いこの国で、交通費や食費を大きく抑えられたのは、トゥナ夫妻お陰である。帰国したら何かお礼の品を送らねば。


9カ国目~ハンガリー~(工事中)

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