世界史と世界地理の、かわいいイラスト付きブログ

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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

7カ国目~デンマーク~

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6カ国目~トルコ~

9/22(月)イスタンブール→コペンハーゲン

 今日は元々イスタンブールを午前中に発つ予定であったが、その便が欠航・別便へ変更になってしまったので、ゆっくりな朝となった。11:30、お世話になったホテルに別れを告げ、いよいよイスタンブール空港へ向かう。昨日下調べした通り、タクスィム駅からまず地下鉄M2線でガイレッテペ駅へ向かい、ここでM11線へ乗り換える。

 このM11線は新しい路線で、かなり深い場所にあり、M2線のホームからひたすら地下通路を歩き、エスカレーターを何本も乗り継がねばならなかった。薄暗いM2線のホームと異なり、M11線は全体的に青いライトに照らされた近代的な駅。ガイレッテペはM11線の始発駅のため、座れるかと思ったが、20分に1本ほどの本数のわりに利用客は思いのほか多く、結局確保できたのは1席分だけ。それを母に譲り、自分はイスタンブール空港駅まで30分立ちっぱなしだった。

真新しいガイレッテペ駅 イスタンブールの建物が映し出されていた

 地下鉄を降り、エレベーターで地上に出る。こちらも最近開港したイスタンブール空港は、黒海に面する場所に位置しており、市の中心部からかなり遠い。周囲にはまだ建物は少ないが、その反面敷地も建物も巨大である。今後開発が進めば、イスタンブールの新都心になるかもしれない。更に上の階にある出発ロビーまでエレベーターで登るが、入り口までは動く歩道でまた数分かかる。空港周辺にある数少ない建物のひとつにモスクがあり、私達を見送るようにアザーンの声が聞こえてきた。

出発ロビーの入り口で、もうすっかりお馴染みのX線検査。簡易なものだったので、おそらくまた搭乗前にもう一度あるだろう。建物内ではまず、荷物を預けるためターキッシュエアラインズのカウンターへ。なんとスタッフはおらず、パスポート機械読み取り・ワンタッチの全自動!あとは出てきたタグを自分のスーツケースにくっつけ、ベルトコンベアへ乗せるだけである。地元の航空会社だけあってハイテク。その後、この旅初めての土産を購入。オシャレな柄の皿にした。休憩がてら立ち寄ったフードコートで残りのトルコリラを使用し、出国審査、再度X線検査を通過。エジプトよりはるかにスムーズである。しかしここから飛行機の乗り場までかなり歩かされた。私達の乗るF12ゲートを含め「Fゲート」だけで全部で19も乗り場があった。その案内には、それぞれ液晶ディスプレイが備え付けてあり、目的地の名前が、その都市の画像とともに表示されるという、なかなか凝った演出。これなら動く歩道で該当するゲートに向かう途中も飽きない。

 

 ところが、搭乗前最後に行ったトイレが混んでいる。男の私はすっと入って出ていくだけでよかったが、女子トイレは長蛇の列らしく、母を待っている間にコペンハーゲン行きの乗客はどんどん飛行機へ吸い込まれていった。彼らを横目に、待つことしかできない私は終始イライラ。永遠かと思われた待ち時間の末に出てきた母が、いかに女子トイレが混雑していたかをベラベラ話そうとするのを辛うじて遮り、急いで搭乗。今回もまた進行方向右側の窓側と通路側(E・F席)だった。通路側(D席)には老女が既に座っていたが、私達が席を出入りするのに快く協力してくれた。曰くこの人はノルウェー人で、日本にもかつて来たことがあるなど、(これはもう離陸した後の話であるが)母と終始会話に花を咲かせていた。

 ほぼ定刻通り、飛行機は無事にイスタンブール空港を離陸。一瞬眼下にイスタンブールのビル群が見えた。飛行機は間もなく黒海へ出て、ブルガリアをかすめた後、ルーマニアを縦断。首都ブカレスト上空も通過していた。幸い雲は無く、下界の山々や畑なども見ることができた。更に飛行機はルーマニアを南東から北西へ飛び、ハンガリーとスロバキアの東端をかすめる。地平線は霞んでよく見えなかったが、その先にウクライナがあると思うと、何とも言えぬ気分になる。

 スロバキアに続いてポーランドを縦断し、バルト海へ。スウェーデンの南西部を少しだけかすめた後、間もなく高度を落として、現地時間18時過ぎ、コペンハーゲン空港に降り立った。この間3時間ほど。各座席にはタッチパネルが取り付けてあり、ゲームや映画(ハリウッド版ゴジラ、ただし15分程でやめた)も見ることができた。

コペンハーゲン空港では久々に日本語の案内表記を目にできて、少しテンションが上がる。しかし、間もなく私の希望は打ち砕かれた。入国審査に並ぶ人の列が異様に長い!どうも職員が少ないらしく、しかも一人ひとりにかける時間も長めのようだ。これを突破するのに1時間近くも待たされ、すっかり私は不機嫌に。荷物をスムーズに受け取ったのと、余していたエジプトポンド、トルコリラをデンマーク・クローネに換金できたのは嬉しかったが、それに日本円1万5千円を含めても、600クローネを下回っていた。さすが北欧、物価も通貨レートも高い。

 そして北欧のもう一つの特徴だと思っていたのが、キャッシュレス社会という事。さっそく空港駅からコペンハーゲン中央駅までのチケットを券売機で選び、Wiseカードを挿入。エラーで出てきた。今度はVisaのクレジットカード、やっぱり出てきた。諦めて現金にしようとしたらこれも返ってきた。なぜだー!!

 いろいろ試行錯誤し、近くのお客さんにも話を聞いて、結局小額紙幣を挿入することで切符を買えた。キャッシュレス社会だというのに、肝心のカードがどれも使用不能では、意味ないじゃないか!

 

 疲れと憤りを感じつつ、コペンハーゲン中央駅まで電車に乗り、そこに半ば隣接する形のホテルに到着。部屋がほぼ満室だった関係で、今日から3泊は母と共同生活だ。備え付けのカーテンを伸ばし、向いの壁にフックで固定することで仕切りにする。狭い部屋に最低限のプライベート空間を確保である。夕飯は中央駅のセブンイレブン(なぜかデンマークのあちこちにあった)で購入したサンドイッチとバナナで済ませた。日本から持ってきたカードが使えないという由々しき事態を明日、乗り越えることができるだろうか?

9/23(火)ヒレレズ、ヘルシンオア

 幸いデンマークのホテルにも朝食はついており、私もデンマーク料理を頂くことに。ビュッフェに並んでいたのは、数種類のパン、ハム、チーズ。母曰くレバーペーストとチーズを、薄めのパンに挟むのがデンマーク流なのだそうだ。代わりに果物は姿を消してしまった。

朝日を浴びるコペンハーゲン中央駅

朝食を終えて、しばし早朝のコペンハーゲンを散策。気温はイスタンブールより更に10度前後低く、さすがに肌寒い。散歩がてら、近くにコインランドリーがあればと思い、Google Mapでヒットした場所を探してみたが、片方は廃業したのか店は存在せず、もう片方はクリーニング屋であった。代わりに変な日本食レストランがあり、唖然。

豆腐ラーメン、から揚げ餃子丼などのラインナップも

なお、コペンハーゲンでは歩行者が点滅せず、いきなり青から赤に変わるので驚いた。しかし注意してみると、音で知らせているようだ(これも場所によって異なるようだが)。昨日降り立ったコペンハーゲン中央駅にも改めて行ってみる。ホテルと反対側には、有名なチボリ公園の入り口であり、シーズンなのか、ハロウィンのランタンが大きく掲げられていた。

 10:00、母の旧友でコペンハーゲン在住のエヴァ、スウェーデンから来たラース夫妻と会う。私にとっては全員初対面であるが、母達は再会を喜び、これからのスケジュールを話し合った。その中で驚愕の事実を知らされる。なんと昨夜私達が電車でコペンハーゲン空港を発った直後、空港がドローンの侵入を受け、しばらく閉鎖されたというのだ。もし到着がもう数十分遅れていたかと思うと、本当に間一髪だった。長時間行列に参ったが、あれでもラッキーだったのかも。

 今日母はエヴァ達と行動を共にすることになっているが、一方の私は単独でシェラン島の名所を巡ろうと思う。ただ、昨日のようにカードで切符が買えないと困るので、とエヴァに相談したところ、中央駅の窓口まで一緒に来てくれるという。ホテルを出て、まず最寄りのATMでWiseカードを使ってみると、無事に100クローネを引き出せた。駅の窓口で、予め私の描いた、今日周りたいルートの路線図を見せつつ、エヴァにデンマーク語で説明してもらうと、国鉄の一日乗車券(200クローネ)を勧められた。手持ちでは買えないので、もう一度Wiseを使うと、これまた無事に買う事が出来た。やはり問題があったのは空港の券売機だったのかもしれない。エヴァに感謝しつつ、次の列車が5分で出るというので、あわただしく4人と別れ、お目当ての電車に乗る。

アユタヤ以来の本格的な鉄道旅、しかも海外では初の一人旅であるが、一日乗車券の存在により怖さはなかった。座席は快適。しかも(昨日乗った列車もそうだったが)デンマーク国鉄は自転車持ち込みOKで、車内に駐輪できるスペースもあった。車窓はコペンハーゲンの市街地を出ると、途端に長閑な農村地帯に変わる。林と畑、たまにゴルフ場やサッカーコートなども見られたが、日本よりも人口密度は遥かに低いはずで、土地の使い方も大らかなのだろう。また、昔ながらの家々も日本と大きく異なっていた。ベタな表現を許せば「おとぎの国」に出てくるような三角屋根の可愛らしい家が本当に存在した。こちらではおそらく当たり前の光景なのだが、異邦人の私からは、あらゆるものが目新しい。

コペンハーゲンを出て約45分でヒレレズ駅に到着。人口数万人の小さな町であるが、『地球の歩き方』曰く、ここにはフレデリクスボー城という城があるのだという。城まで約1㎞。バスでも行けるようであるが、私は歩くことにした。ヒレレズの町にも、日本では見られない家々が並ぶ。その先を抜けると、湖が見えてきた。お城はその湖上に浮かんでおり、そこまでは遊歩道が延びていた。

フレデリクスボー城は、想像をはるかに超える荘厳さ。入口に立つだけで中世ヨーロッパの世界に入り込んだような錯覚にとらわれる。門、彫刻、噴水、屋根、窓ガラスに至るまですべてが美しい。内部は美術館になっていて、古代ヴァイキング時代から、城の建てられた中・近世、現代アートまでの絵画や彫刻が飾られていた。もちろんそれぞれの部屋や大広間、礼拝堂の装飾もこだわりをみせており、とりわけ天井がすごかった。

一方で順路は決まっておらず、迷路のよう。中には自分で隠し扉のようにさりげない場所にあったドアを開けて、階段に出るような場所もあり、日本との違いに驚いてしまった。なお、絵画は圧倒的に肖像画が多く、この城の建設に深く携わっていたクリスチャン4世の絵もあるはずと、わざわざ館内のスタッフに聞いて教えてもらった。さらに下の階では偶然、マルグレーテ女王、ヴァルデマー4世(いずれもデンマークの君主)、アイスランドの詩人スノッリといった、そうそうたるメンツの彫刻も発見。日本ではほぼ知名度ゼロのこうした人々も、デンマークでは偉人である。

クリスチャン4世像

この間、旅好きサークルを主催している仙台在住の友人から連絡があり、LINEによる旅の実況中継を頼まれた。これもたまたまだが、今この時間帯(現地時間11~12時くらい)が私の単独行動の時間だったため、快諾。日本ではもう18時~19時頃だったはずだが、盛り上がったみたいで良かった。

 帰りもバスが見つからず、結局駅まで歩く。ヒレレズ駅から次は、ローカル列車でヘルシンオアへ向かう。緑豊かな街並み、深緑の中を通り過ぎること30分ほどで目的地に到着。ここヘルシンオアは港町の性格が強く、駅を出て間もなく多くの船が視界に入ってくる。大きなフェリーから漁船まで、大小様々。

その先には、かの有名な『ハムレット』の舞台となったクロンボー城が鎮座している。華やかな装飾がほどこされたフレデリクスボー城に対し、こちらは要塞のような重厚なたたずまいだった。目の前に見えるものの、間に海がある関係で、城に近づくにはぐるっと海を迂回しなければならない。ヒレレズで結構足を使ってしまった私は、元々中に入る予定がなかったこともあり、波止場でしばし物思いにふけって戻ることにした。ヘルシンオア駅もまた、レンガ造りの美しい建物で、駅前にはハムレット王王女オフィーリアの像もしっかり設置されていた。

ヘルシンオア駅から2階建ての電車に乗って1時間、コペンハーゲン中央駅に戻る。ホテルでしばし休憩の後、母やエヴァと再会。2つの城を見られて感激したことを報告した。母たちはコペンハーゲン内をバスに乗って観光したそうだ。これから彼らは留学時代の旧友との“約半世紀ぶり”の再会を祝して、食事会をするとのこと。私も部外者ながら同席させて貰うことになった。会場は港の近く。ここで初めてメトロに乗ったが、私の一日乗車券は国鉄にもメトロにも、ついでにバスにも乗れるので、ストレスはなかった。集まったのは朝の人々に男性2人が加わって、合計7人。母を含む、彼らの子供時代のアルバムを肴に花を咲かせていた。それと同時に、私達の旅路や日本文化、日本語に関するあれこれも話題に上がり、私もカタコトの英語で、何とか話題についていこうとした。

結局食事会は夜9時まで続き、名残惜しくも解散。一部の人に関しては、ひょっとしたらこれが今生の別れかもしれないが、“Good Bay”ではなく、“See You Again”で別れたのは、せめてもの希望であろう。帰りは行きと少しだけ異なるルートを辿ったが、対岸にはライトアップされたニューハウンの街並みが広がっていた。

9/24(水)コペンハーゲン

 今日もエヴァがホテルまで来てくれて、ラース夫妻を含め5人で再びニューハウンへ行く。今日は彼女の提案で、運河ツアーに参加。60クローネを払って船に乗り込む。ガイドはヒョーキンな人で、途中でタイタニックのメロディ(船旅にこれはイイのか!?)をリコーダーで吹いたりして笑いを誘っていた。船はニューハウンを出て、より大きな運河を巡る。宮殿、人魚象(ただし後ろ向き)、高級住宅地などを巡り、1時間ほどはあっという間に過ぎた。ただ、午前中で海風が冷たく、薄着で参加した私には少々寒かった。

 

船の上から見たアマリエンボー宮殿

 その後中央駅の近くでお茶休憩をし、ホテル前でエヴァと別れる。いやあ2日間お世話になりました。部屋でしばらく身体を休め、私は再び単独行動を開始する。Google Mapでコペンハーゲン市内にコインランドリーが無いか懲りずに探していたところ、ようやく1㎞ほど西にお店を発見。ホテルで洗濯を頼むと100クローネもかかるそうなので、このお店まで行くことにした。本当は自転車を借りられれば、と思っていたが、こちらも1日140クローネかかるそうなので、歩いて行くことに。

 実際コペンハーゲンは自転車の街で、多くの道路に自転車専用道が整備されている。その脇の歩道を歩く。途中、絵画教室の脇を通り驚愕。デッサンのモデルとして、全裸のオッサンがたたずんでいた。自由な国であるが、外から丸見えなのは…(さすがに画像はありません)

 

 幸いお目当てのコインランドリーは実在していた。しかもデンマーク語がわからず、操作に難儀していると隣の男性がサポートしてくれた。この機械では洗濯に37分45クローネ、乾燥には別料金で5分9クローネだった。帰りはメトロで中央駅へ戻ったが、これには理由がある。デンマークの鉄道運賃はゾーン制で、一定時間、一定ゾーン内では乗り換えも自由なのだ(ちなみに改札も無いが、不正乗車の罰金は重い)。そのため、いったん洗濯物をホテルの部屋に置いた後、同じ切符で中央駅から国鉄に乗車することもできた(だったら行きもメトロ使えという話だろうけど…)。

 中央駅から北上し、数駅先のオスターポート駅で降りる。ここから数百mほど歩き、先ほどの運河ツアーでちらっと後ろ姿を見た人魚姫の像を撮影。デンマークのシンボルであるこの像は、やはり真正面から撮っておきたかった。観光名所なのは他の国の人にとっても同じのようで、この像の周辺だけ多くの人が集まっていた。

 夕飯は、ラース夫妻(同じホテルに宿泊)と一緒に駅中のタイ料理店で食べた。ラース夫妻からはスウェーデン語やスウェーデンの楽器を教えてもらう。彼らにとって、車で来ることができ、パスポートチェックも不要なデンマークは「近場」なのかもしれない。


8カ国目~ノルウェー~(工事中)

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