6カ国目~トルコ~
9/19(金)カイロ→イスタンブール
旅行中は寝不足になりがちだが、今日は逆によく寝られたせいで、頭が痛かった。夕べ買った大きめのパンで朝食を済ませ、早めに宿をチェックアウト。曰く9時に空港行きのシャトルバスが出るというので、エントランスで待っていたが、やっぱり時間通りに来ない。どうも疑心暗鬼になっていた私は、待ち合わせ場所が違うのかも、と思い始めていたが、7分ほど遅れてバスがやって来たのでほっと安心。
今日出発するカイロ空港の第1ターミナルは、到着した第3ターミナルより小ぢんまりしていた。この先LCCに乗る為、規模も小さいのだろう。しかし警備はより一層厳重になっている印象。チェックインカウンターまでに2回も保安検査があり、入念なボディチェックをされた挙句、スーツケースの中まで開かされた。その後空港のスタッフ(?)とおぼしき男性が荷造りを手伝ってくれたが、そのままカートに私の荷物を載せ、付いて来いと手招き。チェックインカウンターの番号は把握していたが、そこには向かわず、内心「もしかして別室呼び出しなのか!?」とドキドキ。「I want to wait my mother.」と伝えても聞いてくれなかった。ならば、チップを渡せば解放してもらえるかな?と、ちらっとエジプト・ポンド札を取り出すも、オジサンはそのまま奥のチェックインカウンターへ。曰く「ここで受付開始まで30分くらい待つんだ。」とのこと。いや、ここは私の乗る便のカウンターじゃないんだが・・・
実際カウンターの職員に私の申し込み用紙を見せると、ここじゃないと返答。オジサンは悪びれるも無く、正しいカウンターに連れて行ったが、ここに来てチップを要求。しかも「エジプト・ポンドじゃなくて、ヨーロッパ系のお金で頼む」などと言う始末。一連の出来事で疲弊していた私は、結局10ユーロ札を渡してしまった。ところが「もう10ユーロ」などと言うもんだから、「それしかない」と跳ね除け、やっと別れることができた。エジプトにおいては、ピラミッドもカイロの街並みも博物館も素晴らしかった。しかしこの一連の出来事ですっかり疲れてしまった私の、この時の正直な気持ちは、「もう一刻も早くエジプト出国したい」となってしまった。
チェックインと入国審査はスムーズに終わり、母と搭乗口近くのお店でしばし休憩。そこから搭乗までの2時間弱は、母の話にもうんざりして、まともに受け答えもできなかった。その間に隣ゲートの搭乗が始まる。行き先はサウジアラビアの地方都市のようだ。ここでも案の定X線検査があるのだが、驚いたのが列が男女別になっていたということ。男性がズラリと並んでゲートをくぐる横で、女性・子どもの列はずっと待ちぼうけ。これは、基本的に同性でないとできないボディチェックを効率的に行うためなのか、はたまたエジプト、サウジアラビアというアラブ国家の「お国事情」のためか。
ひょっとして自分たちの飛行機も同様かと懸念していたら、その懸念は半分当たってしまった。搭乗手続きが始まり、母と2人で並んでいたところ、職員が手招きして、「あなたは(母は)隣の列」と言う。やっぱりエジプトでは男女平等とは行かないようだ。ただ意外だったのは、隣のゲートとは反対に、女性陣が先に検査となったことだった。人数は圧倒的に男性が多いから、まあこれは許せるかな、というところ。セキュリティチェックは男性の方が厳しいようで、また全身のボディチェックをさせられる。一方で、PCはカバンに入れたままで何も言われず、ペットボトルの水も没収を免れた(私のはもう空にしていたけれど)など、変な所でユルい面があった。

そこからLCCらしく、バスで飛行機へ。このバスに関しては、男女ごった煮で大丈夫なようだ。ちなみにアラブの女性と言っても、全身真っ黒で目だけ出している人もいれば、白いヒジャブで頭を覆っているだけの人もおり、子どもに至っては普通に髪の毛を出していた。外国人と思しき西洋系の女性はもちろん髪はそのままだし、ショートパンツの人もいた。エジプトでの“ドレスコード”は、実際どこまで許されているのだろう…
肝心の飛行機であるが、私達の座席はまた!3列の窓側と真ん中。通路側にはトルコ人の10代くらいの少年が無表情で座っていたが、私たちが席に着くと、自分から積極的に荷物を入れるのを手伝ってくれたり、後述のランチボックスを代わりに受け取ってくれたりと、いろいろ気さくに立ち回ってくれた。少しだけ英語もできるらしく、私の開いた地図帳にも興味津々。「これ、日本の文字だよ」と話しかけて見たら、そこでようやく表情を崩してくれた。飛行機は予定より20分ほどの遅れで離陸。カイロの茶色い街並みが離れていくのを見ながら様々な感情がこみ上げてきて、少しだけ目が潤んだ。この飛行機を運行しているのはエジプトのLCCではあるが、機内サービスは良く、機内食のランチボックスもおいしかったし、スタッフも常時笑顔で接してくれた。私も長い緊張を解くことができた。この旅で最後に接してくれたエジプト人は好印象だった。

飛行機は地中海を越え、アナトリア高原を縦断。2時間ほどでイスタンブールのサビハ・ギョクチェン空港に到着。気温はなんと24℃。ベトナム以来、否!日本の夏以来の灼熱地獄からやっと解放された気分である。あっさり入国審査を終え、荷物も無事に回収。そこに先ほどのトルコ人の少年もいたので、私達親子2人で「Have a Nice Day!」と告げて別れた。ここからホテルのあるタクスィム広場までは、バスで1時間半ほどとの事。これも「地球の歩き方」とインフォメーションの人の力を借り、乗り場を見つける。乗車はスムーズだったが、斜め後ろに座って来たサングラスのオジサンが、大音量でスマホを操作するのには辟易した(幸い途中で降りたが)。

夕暮れのタクスィム広場
バスは空港を出発後、高速道路を北上。40分程でボスポラス海峡を渡った。時間的に夕日の映える光景であったが、バスの窓に日差し除け?の模様が付いていて、綺麗に撮影することはできなかった。その後高層ビルの林立するイスタンブール中心部に入ると、渋滞に巻き込まれる。やはり1400万人の大都市は伊達ではない。結局タクスィム広場には18時過ぎに到着。しかし泊まったホテルはこれまで以上にヨーロッパ基調のオシャレなものだった。夕飯は近くのお店で、ラム肉の骨付きとトルコ風の紅茶をいただく。トルコもインフレが進んでいるのか、全部で800トルコリラ(3000円位)してしまったが、ボリュームもちょうどよく、味もおいしかった。明日はアヤソフィアとトプカプ宮殿、ブルーモスクを訪問する予定。その為のオンラインチケットも無事に届いた。今夜は安心して眠れそうだ。

トルコ紅茶(チャイ)
9/21(土)イスタンブール

今までの旅先と異なり、今日は割と時間に余裕を持てる行程である。昨日の夕飯でだいぶ奮発してしまったので、今日はホテルのビュッフェ(部屋代に含まれている)をたらふく食べて、その分昼夜代を浮かす作戦をとる。9時過ぎホテルを出て、タクスィム広場を歩く。石畳状になっているこの広場を見るだけでも、イスタンブールがヨーロッパに近い都市であることを実感。カラっと晴れて風が心地よいのもあって、母もご満悦である。ここから地下鉄に乗るのだが、タクスィム駅にはM2線、F1線2つの鉄道路線が接続しており、私達が乗る予定のF1線乗り場がイマイチわからない。地下で繋がっているかなと、適当な場所に降りると、ホームレスが居たりして、ちょっと近寄りがたい雰囲気。近くのお店で教えてもらった、地下に降りるエレベーターまで行くと、「Out of Order」。タイミング悪い。
ようやくF1線の入り口を見つけ、脇の券売機(日本語表記あり)でイスタンブールカードを購入。市内交通はこのカードを使うと割引になるらしい。ただ、発行にも料金がかかり、しかも「地球の歩き方(8月に出たばかり!)」では130トルコリラとあったのに、165トルコリラと値上げしていた。トルコのインフレはやっぱり深刻なようだ。カードは手にできたものの、今度はチャージにすったもんだ。予習で見ていたYou Tube動画では、クレジットカードであっさりチャージできていたが、実際やってみるとこれがエラーばかりでなかなかうまくいかない。しかも表示されている画面に時間制限があり、これが慣れない人を焦らせる。結局現金をそのまま入れるのが一番手っ取り早かった。一度作ってしまえばあとはスムーズで、改札にタッチするだけ。ただ、タイのメトロと同様、ここにも金属探知ゲートが設置されていた。

F1線は地下鉄というか、地下を走るケーブルカーで、駅も起点のタクスィムと終点のカバタシュの2駅だけだった。駅を降りると、そのまま今度はトラムT1線乗り場へ。路線を変えるごとに初乗り運賃がかかる。路面電車は海岸に沿って走り、ガラタ橋で金角湾を渡った。そこからいよいよイスタンブールで最も有名な地区に入る。路面電車は細い路地を縫うように走り、ギュルハネ駅へ。19世紀にタンズィマートが開始されたギュルハネ勅令で知られる地名である。私達はここから歩いて、まずアヤソフィアへ向かった。途中男性が日本語で話しかけてきたが、アヤソフィアへ行きたいと伝えると、親切に道を教えてくれた。

やはり石畳のけっこうな坂道。両脇にはお土産屋や飲食店がずらりと並んでいる。その先には歴史のありそうなモスク(ジャーミー)があちこちにそびえていた。その中でも取り分け観光客に人気があるのがアヤソフィアである。行ってみると案の定すごい列。幸いインターネットでチケットは手に入れていたので、チケット売り場に並ぶ必要はなかった。入り口にも荷物検査がある関係で長い列が出来ていたが、その間にこのモスクにそびえるミナレット(一部は工事中だった)をじっくり観察できた。

無事にアヤソフィア内へ入場。母は頭にスカーフを巻いての入場である。アヤソフィアの1階は実際に礼拝の場となっており、そこはイスラム教徒以外立入禁止なのだそうだ。その為、私達は入ってすぐのスロープを上り、いきなり2階へ。ビザンツ帝国(395~1453年)時代、キリスト教の大聖堂として建設されていたこの建物には、当然ながらイエスや聖母マリアのモザイク画が描かれていた。しかし15世紀にオスマン帝国がこの地を征服すると、大聖堂はモスクとなり、これらは漆喰で塗りつぶされてしまったらしい。オスマン帝国崩壊後の1930年代になって壁画が再発見され、現在は一部が再び私たちの前に姿を見せている。それ以降しばらくここは博物館となっていたが、現政権下のもと、2020年モスクの機能が復活したのだそう。壁画にはイエス、聖母マリア、洗礼者ヨハネのほか、アヤソフィアに深く関わったコンスタンティヌス大帝、ユスティニアヌス帝の姿もあり、私も興奮。いやそれ以上に、天井から壁、柱や照明ありとあらゆる場所に装飾がほどこされ、アヤソフィアの荘厳さに拍車をかけていた。これは世界中から観光客が訪れるのも納得である。

「モスク」で内は、イスラム教徒でなくとも、女性のスカーフ着用が必要です。



キリスト教からイスラム教へ。イスタンブールの歴史を象徴するような建物
すっかり感動した私達は、続いてトプカプ宮殿へ赴く。こちらも予め申し込みをしており、指定されていた近くのお店で再度受付した上で、ホスト(ツアーガイド)に連れて行ってもらう形式だった。ホストのイケメンに連れられて宮殿へ向かう一行。年齢も性別も国籍もバラバラだが、ざっと30人はいるかな。ここでも荷物検査を受ける必要があり、そこから巨大な城門、そしてスルタンの居住地だったハーレムへ入る。ホストの案内はここまでで、そこからは自由に見学できるとのこと。このハーレムが広くて入り組んでいた。当時この建物を管理していた宦官の役人や奴隷の部屋が主であったが、スルタンの間まで来ると、うって変わって金やガラスに彩られた空間が広がっていた。壁の青タイルもトルコらしい。順路と言うものは無いので、あっちに行ったりこっちに行ったり、だいぶ歩いてしまったが、面白かった。

トプカプ宮殿「挨拶の門」

しかしトプカプ宮殿の敷地は広い。出口を探したが見つからず、代わりに入れたのは、当時の服装を展示した資料館。まあせっかくなので入ってみると、おお!セリム1世、スレイマン1世、アブデュールメジト1世が実際に着ていた服だというでは無いか!これは世界史マニアの血がうずくというものだ。ようやく敷地の出口を見つけ、近くの小さなお店でパンとジュースを購入し、休憩。相変わらず風は心地よく、昨日までの灼熱が噓のようである。本当は宝物庫なども見たかったが、今日はもう一つのモスクを見る予定があったため、トプカプ宮殿はここで切り上げる。
敷地を出ると、そこは先ほど通ったアヤソフィアの入り口からすぐ近くだった。あれから2時間ほど経っていたが、まだ入場の列は続いているようである。途中のお店でスイカを大量購入し、元気の出た2人は、最後の目的地ブルーモスクへ。ここは現役の純モスクだそうで、入場は無料であるが、やはり女性は髪を布で隠す必要があるそうだ。敷地内から見るブルーモスクは威厳たっぷり。間近で見るとモスクというより、ジブリ作品に出てきそうな要塞のようである。中に入る為には、また長い行列に並ばなければならなかったので、ここは外観だけ見て帰ることにした。

スルタン・アフメットモスク(通称ブルーモスク)
贅沢にも左にブルーモスク、右にアヤソフィアを見ながら、T1線のスルタンアフメット駅まで歩き、ここからトラムに再乗車。最初に来た列車内は混んでいたので見送ったが、土曜日でお客が多いためか、後から後から列車が来る。比較的空いていたその一つに乗って元来た道を戻ることとした。しかしこの列車、金角湾手前のエミノニュという駅で折り返すタイプだったらしく、慌てて次の駅で下車した。車内のお客も半分近くが乗りっぱなしだったので、気づかなかった。改めてカバタシュ駅行きの列車に乗り、終点へ。が、すぐにはF1線に乗り換えず、海沿いへ向かうことにした。
帰りの電車から見えた、ガラタ塔
カバタシュ駅の脇には、ボスポラス海峡を望む小高い丘が造られており、眺望は抜群。天気にも恵まれ、青い空に青い海、海を渡る船とカモメが、世界的に名高いこの海峡の良いアクセントとなっていた。母はすっかりイスタンブールに魅了されてしまったようで、終始カメラを離さなかった。帰り道、F1の駅で今夜の夕食となるパンを買い、タクスィムへ戻ろうとしたら、もうイスタンブールカードの金額が底をついていた。しかもまた母の持っているカードのチャージがうまく行かない。このカードは1枚で複数人分使うこともできる(もちろん人数分の料金は必要だが)ので、チャージできた私のカードで2人分の料金を払い、無事にタクスィム、そしてホテルに戻ることができた。時刻は16時前。今日の観光としては十二分の結果であった。

ボスポラス海峡。いい天気でした。
9/21(日)イスタンブール(予備日)
このホテルでは、時おり外からアザーン(礼拝の時間を告げる歌のようなもの)の音声が聞こえてくる。ホテルから徒歩圏内にモスクがあるためだ。カイロやドバイでも、もし町中にホテルを取っていれば、同じような声が聞こえてきたのだろうか。
今日は「予備日」。つまり何らかのアクシデントで予定が狂った場合に備えて、余分に取っておいた日である。幸いここまで行程に大きな遅れや運休は生じていなかったので、一日オフの日にした。昨日と同様、ホテルで朝食をとった後は、一度部屋に戻って二度寝。成田からずっと、本当に8時間寝られたためしがないので、心身に負担は来ているはずである。とはいえ異国の地で気持ちが昂っているのは抑えようがなく、うとうとするのがせいぜいであった。10時くらいに一度ホテルの外に出る。今日は日曜日ということもあり、広場周辺にも多くの人が。今日は特に遠出をするつもりはないが、明日空港へ向かうルートと料金の確認をしたかった。空港へはタクスィム駅からM2線でガイレッテペ駅へ向かい、そこからM11線に乗り換えるのだが、トルコでインフレが頻発している関係で、料金は読めない。そこでまず、M2線の乗り場までの道のりを確認。そこにいた駅員さんに翻訳アプリで「空港まで何トルコリラか」と聞いてみたが、ガイレッテペまでは35トルコリラだが、それ以降は分からないとのこと。同じメトロなのに!?まあ何とかなるだろう。

タクスィム広場の自然公園
地上に出た後、広場に隣接する緑の公園へ。そこにはすべり台やブランコなどの遊具があり、子ども達が遊んでいた。また、噴水やベンチも設置してあって、ここだけ切り取れば、日本にある公園と変わらなかった。日差しは次第に強くなってきたが、風は心地よい。ここでしばし休憩しつつ、「地球の歩き方」をめくる。そして気づいた。「まだ、ケバブを食べていない!」
お昼になって小腹がすいたので、母を伴い、もう一度外に出てみる。事前に調べておいた方面へ足を運ぶが、方角を間違えたのか、お目当ての道ではなく、急な下り坂に出てしまった。しかし幸い、その道と交差していた脇道に、似たようなケバブのお店があったので、注文。お目当てのケバブサンドは売り切れだったので、ケバブ・ハンバーガーにする。ついでに串に刺した巨大な肉の塊をナイフで少しずつそぎ落とすシーンも撮らせてもらった。母はその場で生のフルーツを絞ってくれるフレッシュジュースを購入。ハンバーガーを食べた後、トルコアイスにも挑戦。なかなか受け取らせてもらえないパフォーマンスに二人で爆笑した。ようやく貰ったトルコアイスは、思いのほか粘り気が強く、不思議な食感だった。

夕方になって再び外出。夕飯も近くのお店でテイクアウトすることにした。ローストチキンをスライスして、一つはご飯に乗せたもの、もう一つはパンにはさんだものを購入。店員さんは陽気な人で、入るなり「Year my friend!」と自分の帽子を私に乗せて握手してくる。こちらも負けじと、スレイマン1世の肖像画を出して友好アピールしたら、とても嬉しそうに私のスマホを受け取り、3人で自撮り。最後の晩餐は朗らかな形となった。ちなみにトルコリラ札がまだ余っていたので、現金払いにした。2人分で700トルコリラ弱だが、それでも2千円か… 付け合わせにパンと唐辛子を貰った。この唐辛子がまた辛い!けれどご飯は美味しかった。

さて、まだ先の話だが、ウズベキスタンでの移動について、新たな課題が生じた。かの地でもまたタクシーを利用する予定であるが、白タクはリスキーなので、配車アプリを使いたい。ただ、UberやGrabは使えないとのことで、Yandex Goという旧ソ連圏のアプリをインストール、登録しようと試みるが、SMS認証コードが送られて来ず、立ち往生。スマホの設定をいろいろいじくった結果、SMSの機能は回復したものの、それでもダメ。どうやらこの問題に悩まされている人は少なくないらしく、タシケント空港でSIMを別途買う必要があるかもしれない。でも、それでもサマルカンドで使えなかったという人もいた。どうなることやら…
7カ国目~デンマーク~(工事中)