世界史と世界地理の、かわいいイラスト付きブログ

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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

5カ国目~エジプト~

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4カ国目~アラブ首長国連邦~

9/17(水)ドバイ→カイロ

 今日で全行程の4分の1になる。昨夜は早くに休んでしまった。相変わらず夜中と早朝に起きてしまうので、早めの睡眠は正解かもしれない。今日は6時半に母とホテルの朝食バイキングへ。ビュッフェのラインナップを見れば、パンやフルーツのほか、豆のスープも登場。逆に米系の料理は姿を消してしまった。食事一つとってみても、文化の違う場所を転々としていることを実感する。

ドバイの朝

ドバイ空港が大きいことから、今日は早めの朝8:30に出発。昨日洗った洗濯物の乾きは微妙である。送迎車に乗るためホテルを出ると、すでに外は灼熱だった。空は雲一つない晴天だが、高層ビル群は遠くにうっすら見える程度だった。砂煙の影響であろう。そのせいかどうか不明だが、母の持ってきたカメラの調子が悪い模様。精密機械にが入り込んで悪さをすることは少なくないようだ。空港の第1ターミナルで下車し、急いで空港内へ。降ろされたのは「Arrival」の出口で、「No Enter」などと書かれてはいたが、特に守られている様子はなく、みな平気で出入りしていた。空港内のお店で、スーツケースのストラップ(スリランカで失くしたもの)を買いなおすことができた。

 

ドバイでの出国手続きは、機械式の簡易なシステムが導入されていて、読み取りがうまく行けばあっという間だった(スタンプは押してくれなかったが)。昨日入国の際は同じシステムで失敗し、人間のスタッフがいる所で改めて手続きしたのだが、母に至ってはなぜか入国・出国両方で引っかかってしまい、有人窓口へ。その後荷物検査を済ませる。検査官のおじさんは私を見るなり「アンニョンハセヨ?」と聞いてきた。私が「ジャパニーズ」と応えると大きくうなづいて「オハヨゴザイマス」に訂正。続く母には、私の名前を尋ねていたらしく、階段を登る私に「オー、〇〇(←私の名前)!」「アイシテリー!」陽気な人で助かった。今までで一番ストレスのない出国手続きだった。

その後、搭乗口までは専用の列車で移動。チケットには出発1時間前の10:55までに搭乗口へ来るようにと書かれていたが、当然のごとく時間はズレ込む。あれはあくまで目安の時間なのだろう。結局ゲートが開いたのは11:50頃。離陸したのは12:00を過ぎていた。びっくりしたのは、飛行機が動き出したにも関わらず、乗客の一人が携帯で電話を始めたことである。しかし機内のスタッフは姿を見せない。自由だな~

 

今回カイロ行きに利用したエジプト航空は、安全に関する案内もエジプト風。シートベルトや救命胴衣の形をしたヒエログリフ(エジプト象形文字)が出てきたのにはこだわりを感じた。座席はスリランカ航空より広く、しかも席が空いていたので、私たち2人の隣にいた男性が前の席に移ってくれた。これで大分ストレスも軽減。飛行機はドバイを出てペルシャ湾に出た後、カタール、バーレーンの東の沖を抜けて、サウジアラビア上空へ。そこからアラビア半島、シナイ半島を横断し、スエズ運河を右にのぞみながら、カイロへと降り立った。気温は意外にもドバイより幾分低い。

飛行機から見えたスエズ運河

 飛行機をタラップで降り、バスで空港ターミナル3へ。なおエジプト入国にはアライバル・ビザが1人25ドル必要であるが、その発券場所がどこか分からない。ならば先に両替を済まそうかと、それっぽい場所へ。50ドル(7000円くらい)分のエジプト・ポンドがあればいいかなと、カウンターに50ドルを出したら、実はそこがビザ発行所で、券2枚を渡してきた。私たちが出したのがたまたま25ドル×2=50ドルだったのだ。まあ結果オーライである。

ビザと入国カード

入国審査はドバイと違い、全員人間のスタッフによる認証。長い列を待たされた後、パスポートとビザ、飛行機内で渡された入国カードを提出。しかしドバイとは異なり、スタッフの機械が私のパスポートを認証できず、「別のレーンへ行って」と言われてしまった(なぜか母も一緒に)。また長い行列に並び直し。その途中、水の切れた母が気分を悪くしてしまう。2度目のトライで何とか審査を終え、荷物受け取りへ。その間に私は近くの自動販売機を見つけ、Wiseカードで水2本を購入。母は危機を脱した。しかし災難は続く。スリランカで私が食らったのと同様、今度は母のスーツケースからストラップが外れて無くなってしまい、またロストバゲージの手続き。空港を出る時またX線荷物検査のコンベアが待ち構えていて、その後ろに長い行列。尤も、私達はパスポートだけ見せれば良かったようだが。

 

なんやかんやで空港の出口にたどり着いた時には、17時近くなっていた。そこから今度こそ両替を済ませ、小さなカフェで夕飯代わりの軽食。ここからホテルまでは、ターミナル1と3を結ぶ無料シャトルバスで行けるとのことだが、私達が建物を出たタイミングで、ちょうど出発してしまった。次は30分後かもしれないので、仕方なくUberの力を借りる。幸い空港なのですぐにマッチはしたが、場所がここからすぐ下の駐車場だということがわからず、しばしウロウロ。運転手さんのメッセージがたくさん届いて焦っていると、駐車場内に男性が。写真の人に似ていたので、「Uber?」と聞くと、違うという。逆に向こうから色々話しかけてくるので、運転手さん場所を教えてくれるのかと思っていたら、最終的に私が連れて行ってあげよう」のような話になっていた!「母を上に待たせているので結構です」といったん引き返す。その間に頼んだUberはキャンセルになっていた模様(後で領収書を見ると、大した額ではないがしっかり請求されてはいた)。まあ怪しいおっさんにぼったくられずに済んだからいいか…

 

気を取り直してもう一度Uberを頼み、母を連れて下に降りると、幸い今度はすぐに運転手さんと会えた。結局ホテルにチェックインできたのは17時半。ここでも荷物のX線検査があり、びっくりしたが、チェックイン自体はスムーズだった。飛行機を降りてからの一連の出来事ですっかりヘトヘトの2人。初めての国、初めての地なので、ガイドブックを読んでも分からないことは尽きない。それでも何とか旅を続けられているのだから、合格点であろうか。ちなみにホテル内でも物価は安いのか、大きめのパンを買っても100ポンドしなかった。

9/18(木)カイロとギザ

 エジプト2日目。今日がおそらく最難関の日だと思っている。昨夜はエジプト旅行のブログ、You Tubeの動画、Chat GPTなどを駆使して情報を集めていたが、不安はぬぐえなかった。今朝の朝食で話し合った結果、ホテルの人に1日専属のタクシーを手配してもらえないか相談。するとすぐに運転手を紹介してもらった。価格は110ドル(約16000円!)もしたが、この国ではUberですらあまり信用できないそうなので、頼むことにした。

 

ネット情報によれば、ピラミッド周辺にはラクダや馬車の勧誘が多く、観光客相手のぼったくりも日常的だったという。「だった」というのは、今年に入ってピラミッド・エリアの入口が変わったからで、ピラミッド・ビジターセンターという新しい建物から入り、そこから無料バスで各ピラミッドやスフィンクスの間を移動できるという。これなら快適にピラミッドまで行けるし、ラクダのぼったくりも難しくなっているのでは?私はそう思っていたが、甘かった

 ハッサンというタクシー運転席は、英語が堪能で、マシンガントークで沿線の建物を教えてくれる。カイロの街は全体的見ると茶色の印象。丘陵地の山肌や古い建物などがどれも茶色で、派手な色の建物は少ない。道路は複雑怪奇。幅は広いものの、事前情報のとおり、本当に信号機も横断歩道も無いため、陸橋や立体交差が連続。ハッサン曰く20㎞もあるエジプト一長い橋(道路橋)がカイロにある、とのことだ(帰りに通った)。ギザへ向かうために中心部を避けた東側の道を通る。見えてくるのはモスクのミナレット。遠くには城塞シタデルも見えた。この異国情緒すぎる雰囲気を感じるだけでも、テンションは上がる。そして意外にもキリスト教会も所々に見られた。エジプト人の1割はクリスチャンとの事だが、その事が街を見るだけでも良く分かった。

高層ビルも、壁は茶色

 

ファンタジー作品に出てきそうな街並み

モスクのミナレット。幾何学な形が魅力

ところでハッサンは、知り合いの店だからと途中車を一時停止。間もなくマンゴージュースを持った店員と一緒に出てきた。マンゴーをそのまま(砂糖なども加えず)ジュースにしたもので、これはこれで美味だったのだが、内心『まっすぐピラミッドに行くわけじゃないのか』と少し疑心暗鬼に。再出発した車はやがてギザに入るために進路を西へ変え、いよいよナイル川に差し掛かる。この世界最長の川を撮るために、ハッサンはわざわざ橋の上で車を停めてくれた。このような一時停車は嬉しい。

ナイル川を渡ってしばらく走ると、ギザに入り、次第に町からビルが消える。一般住宅の屋根の向こうを見ると、ついに待望の三角形が。ところがまだピラミッドはお預け。今度は政府が運営しているという入場無料のパピルス・ショップで降ろされた。古代エジプト人が紙として使用していたのがパピルスである。中では店員さんがカタコトの日本語でパピルスの作り方を教えてくれたが、案の定最後は「この作品、10ユーロでどう?」まあ当然のいきさつだと思ったが、断った。

この植物の繊維をほぐして、縦横縦横…と組み合わせて乾燥させると…

こうなる

その後タクシーは細道に入る。馬車やラクダを連れた人が見えてくる。ハッサンが「キャメル、キャメル」と話しかけてくる。何となく雲行きが怪しい。どうやらここでラクダに乗り、ピラミッドまで行けとのことらしい。しかしラクダ=ぼったくりという頭である私達はこれを拒否。ピラミッド・ビジターセンターまで連れて行って欲しいと話すも、こちらはハッサンも受け入れず。曰く今の場所からだいぶ離れているので、もし行けば迎えには来られないとのこと。あれ?旧ゲートは閉鎖されて、今はビジターセンターの新ゲートからしか入れないんじゃなかったの?と思ったのだが、いざ来てみると、普通に旧ゲートは運営していた。また状況が変わったのか?私の勘違いか?ネット情報も鵜呑みにはできないな。

↑ クフ王のピラミッド

↑ カフラー王のピラミッドとスフィンクス

 結局30分後に迎えに来てもらうよう頼み、タクシーを下車。チケットを購入(事前情報通りクレカのみ、しかも外国人は料金割増)し、保安検査(またX線!)を抜けてついにピラミッド・エリアの中に入る。そこには、今まで写真や動画でしか見たことのなかった光景が! ああピラミッド!ああスフィンクス!にわかには実感を得られぬ太古の建造物がそこにあった。本当はもっとそばに行って直接その石造りの巨大四角錐を見上げ、その手に4500年の歴史と神秘を感じたかった。しかし、状況はそれを許してはくれず、わずか10分でピラミッドエリアを出ることに。

ちなみに入り口はこんな感じ。なんかテーマパークっぽい

 ゲートを出た目の前にあるピザハットで、ハッサンの車を待つ。しかし約束の10時になっても車は現れず。その間にも別のおっさんが「タクシー?」と声を掛けてくる。もうこの言葉を無視するのにも慣れっこになっている自分がいた。一方の母は暑い中座ることもできず、トイレも我慢しているという(ピラミッドエリアの中には、不衛生っぽい簡易トイレしか見つからなかった)。このような状況下、更に10分待っても迎えは来ないので、次第に焦ってくる。ハッサンの電話番号は知らないし、ナンバープレートも確認し忘れていた。ラクダを断ったことに不満を持って帰ってしまったのか?もしそうだとしたら、ホテルに連絡したいが、あいにくWi-fiの無い場所でそれはできなかった。そこで近くの警察だか軍人だかの人に、翻訳アプリで助けを求めるも、「OKOK」などと言うだけで何もしてくれない。別の警察の人にヘルプを求めようかとした時、母が「あ、タクシー来た!」

エジプト版「テーゲー時間」に翻弄されつつ、無事にハッサンと合流できてホッと一息。車内でまた英語での談笑をしつつ、エジプト考古学博物館へ。こちらはカイロの中心部にある。車窓からは、こちらも観光候補に加えていたカイロタワーも見ることができた。考古学博物館でもX線の荷物検査を受け、中へ入ると、いきなり古代エジプト文明を髣髴とさせる大きな像がお出迎え。まあこれはレプリカだろうが。母もここで無事に花摘みを終え、まずは目玉であるツタンカーメンの秘宝を見に二階へ上がる。中でも有名なのは「黄金のマスク」(撮影禁止だったので写真無し)。教科書でしか見たことのなかった太古の遺物がそこにあることに、深く感激したのは言うまでもない。

石の棺

部屋を出ると同じくツタンカーメンの墓から出てきた黄金の玉座(これは撮影OK)や、アヌビス神の像がお出迎え。階下に降りると、ツタンカーメンの父で、大規模な宗教改革を行ったアクエンアテン(アメンホテプ4世)の像がドドン。その改革で生まれたアマルナ美術の絵画も展示されていた。その他、無数のお棺や書記官の像、3種類の文字が書かれたロゼッタストーンのような石板なども見ることができた。歴史好きで良かったと実感する。一方で一部の展示品はピラミッド近くにできた「大エジプト博物館」に移設されたらしく、閉鎖されている部屋もちらほら見かけた。

木の棺(ツタンカーメンの棺ではありません)

黄金マスク(ツタンカーメンのマスクではありません)

黄金の玉座(これはツタンカーメンの玉座)

アクエンアテンの像

ヒエログリフの書かれた石板

先ほどのことを考えて、約束の時間ちょうどに博物館を出る(出口でもX線検査があった)。集合場所には案の定ハッサンの車は無かったが、今回はナンバープレートを撮影していたので、駐車している車や通りがかった車をチェックすることができた。ハッサンの車は7分遅れで到着。アユタヤの時と違って、ピラミッドでも博物館でも留め置きが出来ないらしく、カイロの交通事情を考えれば、これでも頑張ってくれたのかも知れないと思い直す。

カイロタワー遠望

大変名残惜しいが、これでカイロ観光を終え、ホテルへ戻ることに。カイロタワーやアズハル・モスクなどは今回あきらめざるを得なかったが、まあこれでもだいぶ頑張った方だと思う。タワーは遠望できたし、モスクの美しいミナレットもたくさん見られたし、初エジプトを個人で旅する、という高難易度旅行としては十分な成果だったと言い聞かせる。帰り道では、前の車のナンバープレートを使ってアラブ数字の勉強。向こうから見れば幼稚園レベルのお勉強であるが、これがなかなか盛り上がった。また、話の中でエジプトの偉人ウンム・クルスーム(アラブ世界の歌姫)とナギブ・マフフーズ(アラブ初のノーベル文学賞作家)の名前を出したところ、ハッサンも喜んでくれた。13時前ホテルに到着。チップをはずんでハッサンと別れた。

午後はホテルで体を休める。お昼は食べる気にならなかったが、しばらくすると小腹がすいたので、1Fのコンビニでカップ麺を購入。150ポンドと、昨日買った巨大なパンより2倍くらい高かった。こちらではカップ麵は高級品なのか…? 夕飯はプールサイドにあるイタリアンレストランで食べた。当初は陽の光がまぶしかったものの、食事をしている間に太陽が落ち、快適に過ごせた。同じ砂漠の上の都市とはいえ、全体的にカイロはドバイよりも涼しい印象だった。これで熱帯、乾燥帯の国は一旦終わり。明日から温帯のトルコ・イスタンブールだ。半袖から長袖へシフトするようになるかも知れない。尤も、私は今日も(日焼け止め対策で)長袖だったのだけれど。


6カ国目~トルコ(工事中)~

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