世界史と世界地理の、かわいいイラスト付きブログ

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現在、初期記事のリニューアルと英語訳の付け加え作業をゆっくりおこなっています。

1カ国目~ベトナム~

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0か国目~日本~

9/9(火)成田→ハノイ

 昨晩早く消灯したにもかかわらず、ほとんど眠ることが出来なかった。今日は7:30に成田空港にいればいいのに、早起きの父親に6時前に叩き起こされ、暑さと空腹も相まって、不機嫌な朝となった。今日は成田から5時間以上のフライトで、一気にベトナムのハノイへ向かう。4時間以上のフライトに関しては、母がビジネスクラスで申し込んだ(いくら使ったのか怖くて聞けぬ)ため、空港内のラウンジで朝食バイキングを食べることができるという。ホテルからバスで空港、そのままカウンターへ向かう。無事に航空機のチェックインを済ませ、きれいなラウンジでリッチな朝食を食べることができた。このあたりでようやく私の気分も良くなってきた。

1時間ほどラウンジで過ごした後、いよいよベトナム航空のハノイ行き飛行機に搭乗。私にとっては人生初のビジネスクラスであるが、なるほど普通の座席とは明らかに違う、半個室のような座席だった。民族衣装のアオザイを着た女性CAさんからドリンクを貰い、座席のリクライニングなどをチェック。長旅に備え、今回は本や地図に加えPCも機内へ持ち込んできたため、リュックもかな~り重かったが、幸い座席の下に荷物を置くスペースがあり、そこから随時ものを取り出すことができた。

 

 9:30。いよいよ離陸。私が国外へ出るのは、2010年の台湾弾丸旅行以来15年ぶりのことだった。座席のモニターには飛行機の現在位置を逐一表示するサービスがあり、それによれば飛行機は、名古屋、大阪、瀬戸内海、大分、佐世保、五島列島を経て東シナ海へ。その後中国上空へ入り、上海、広州上空などを経て、ベトナムへと入る。日本時間の11時頃機内食が出た。さすがビジネスクラスなだけあって、料理もデザートも豪華。至れり尽くせりのサービスである。食事が終わるころには一時的に機内の照明も暗くなり、乗客はおやすみモード。寝不足の私もリクライニングを倒して、ブランケットに身をつつんだが、30分ほどのうたた寝がせいぜいだった。何しろ私は今まで夜行列車でさえ一度も熟睡できたことがないのだ!! 起きている間は、持参した小説やガイドブックを読んだり、自分で書いたベトナム史をPCでおさらいしたりして過ごした。

ベトナムには予定より早く入った飛行機だったが、空港の都合からかその後30分くらい旋回を続ける。ようやく空港へ舵を切り、高度を下げた飛行機の窓からは、紅河ホンがわらしき大河を見ることができた。それ以上に空港までの道には湖沼(水辺)が多いことが印象的だった。結局ハノイの玄関口ノイバイ空港に着陸したのは現地時間13:18だった。日本とベトナムとの時差は2時間なので、5時間48分のフライトだった計算である。ビジネスクラスでもさすがに疲れたが、まだ先は長い。入国審査は意外とあっさり終わり、荷物も無事に回収。その間にe-SIMを設定するがどうもうまく行かなかった。仕方なく空港のフリーWi-Fiでタクシーを呼ぶも、今度はUberが使えない(後で知ったが、ベトナムでUberはそもそも使えなかった)と、慌てる事態が立て続けに生じた。その間にも怪しげな兄ちゃんが、タクシーの勧誘をしつこく繰り返して、断るのに苦心。

 

結局は母がホテルに電話し、送迎に来てもらうよう頼んでくれた。空港を出てすぐの待ち合わせ場所に赴くが、そこではさっそく東南アジアらしいカオスを見ることができた。ひっきりなしにやってくる車。鳴り止まないクラクション。熱く湿った風。ああもうここは日本ではないのだ。ここは本当にベトナムなのだ。

 

無事に迎えの車でホテルに到着。カウンターは簡素で、スタッフの人が一人で対応していて、一瞬大丈夫かなと思ったが、部屋は思いのほか綺麗で広く、何より涼しかった。ホテル内のPCでe-SIM接続問題を解決。休憩の後、隣部屋の両親としばし打ち合わせもして、15:00頃一度ホテル周辺を周ることに。

ハノイから20㎞以上離れたこのホテルの周辺は、いわゆる観光地ではない。細い路地に、一般の住居が立ち並ぶ。そこを自転車に乗ったおばさんが大音量を流しながら通り過ぎていく。どこかでニワトリが声を上げる。バイクで通り過ぎる男性。ベトナム伝統の、円錐形の帽子をかぶりながら道路工事をする人。バス通りに出れば、車やバイクが盛んにクラクションを鳴らしながら我先に道路を走る。小綺麗な歯医者の横には、どこか懐かしい雑貨屋。道端にしゃがみながら3~4人で談笑する人たち。これがこの街の日常なのだろう。ふと母を見ると、ベトナムらしい家屋や熱帯の花にしばしば足をとめ、周囲も気にせずカメラを回しており、私はいつスリに合わないか、バイクに轢かれやしないかと、ハラハラ。父は特に気にする様子もなく、どんどん先に行ってしまう。異国の街並みを楽しむ一方で、この先大丈夫かなと、不安もよぎった。

ホテルに戻り、室内のシャワーで汗を流す。日本のシャワールームとは異なり、部屋より一段低くなっているタイル張りの床。そこに無造作(?)にノズルが取り付けてあるので、お湯を出そうものなら、一面びちゃびちゃである。一応バスタブ(幸いこのホテルにはあった)の奥に排水口があるのだが、特に傾斜がついているわけでもなかった。その脇にはトイレもあるが、事前情報の通り、紙は流せない。小さなハンドシャワーで洗浄するものだった。

さて、17時になったので夕飯。ホテルのスタッフさんにお勧めのレストランを教えてもらった。そのお店はオープンカフェのようになっており、店員さんも英語が出来た。夕暮れ時となった今では心地よい風が吹いてきて、半屋外でも十分だった。料理も米、野菜、卵がふんだんに使われたもので、美味しいしボリュームもちょうどよかった。恐らく明日もここで夕飯となるだろう。

こんな感じのお店でした。

9/10(水)ハノイ

 夕べ、風が直に来て風邪をひくのが怖かったので、エアコンを切って消灯したら、逆に暑くて途中で起きてしまった。とはいえ昨日よりは眠れた。朝はホテルの食堂でフォーをいただき、8時過ぎに出発。ハノイ中心部へ向かう。タクシーで大きな道路(高速道路?)を20~30分ほど走ると、巨大な橋が見えてきた。この橋で紅河を渡ると、向こう岸に高層ビルが見えてくる。さすがはベトナムの首都。私達が泊まった空港近くの町(タイフーというらしい)と比べると、圧倒的にビルも人の数も多い。

紅河にかけられた橋 ここを渡るとハノイ中心部

高速を降りると途端に渋滞にハマり、1㎞進むのに5分以上かかることもあった。タクシーの運転手さんはフレンドリーな人で、紅河を渡った橋や、ハノイ北部に広がる西湖などフォトスポットに差し掛かると、しきりに「カメラ、カメラ!」と撮影を促してきた。渋滞中も翻訳サイトを使って「東京にもこんな渋滞ある?」「ここはベトナム戦争の英雄ボー・グエン・ザップの家だよ」などと、楽しく会話できた。

ハノイ市街地

予定より20分ほど遅れて最初の目的地ホーチミン廟に到着。しかし、これがいつもの事なのかどうかはわからないが、昨日の空港からここに至るまで、やたらたくさんのベトナム国旗がはためいていた。また、ホーチミン廟の周辺を訪れる人の中にも、国旗をあしらったシャツや帽子を身に着けた人が目立つ。というのも、2025年はベトナム建国の父ホー・チ・ミン独立宣言を行って80周年にあたり、この日もその式典期間中だったのだ。恐らくは全国からその記念にハノイを訪れる人が集まっていたのかもしれない。

ホーチミン博物館

 私達はまず近くのカフェ(NINJAという店名だった!)で冷たいドリンクを飲み、その後ホーチミン廟の近くに建つホーチミン博物館に入ることにした。ゲートで料金支払いとセキュリティチェックを済ませ(父は電子タバコを破棄させられていた)、入館。説明文は当然ベトナム語(と英語)だったので、内容の2割も理解できなかったが、ファン・ボイ・チャウ東遊ドンズー運動からベトナム統一、最近の式典までの写真を俯瞰することはできた。最上階には、ホーチミンの巨大な銅像が建ち、その周辺の回廊には、近代ベトナムを表現した芸術作品と思しきオブジェも並んでいた。

 

 

独立の英雄ホー・チ・ミン

 博物館を後に、このままホーチミン廟の脇を抜けて、次の目的地タンロン城へ向かおうとした。しかし、先述の式典のためか、そこまで道は閉鎖されてしまい、その奥は一方通行だったため結局元来た道を戻らねばならなかった。蒸し暑い中、長距離を歩く羽目になったことから、タンロン城まで1kmもなかったものの、タクシーでの移動を決めた。

遠くから撮影するだけとなったホーチミン廟(想像以上に大きい)

敷地内にあった一柱寺

このタンロン城は、11世紀成立した李朝大越国の時代に建てられた城門で、世界遺産に登録されている。荘厳な城門は上にも登ることができ、城の前に作られていた美しい花壇も一望できた。この敷地内にあったカフェでドリンクをいただき、再びタクシーを呼ぶ。ドンの残りが心配になったため、一度銀行に立ち寄ることにしたのだ。しかし折り悪く銀行は休み。両親が隣接するATMの操作にまごついていると、隣に立っていた20代くらいの男性が日本語で「日本人?」と声をかけてきた。私は一瞬身構えたが、普通にいい人で、ATMの操作を教えてくれた。曰く大阪に留学したことがある人だという。必要以上に疑心暗鬼になることはなかった。

タンロン(昇竜)城

お金を補充したところ、父が次の目的地ホアンキエム湖まで歩こうと言い出した。Google Mapを頼りに、慣れぬ道を行ったり来たり。ベトナムの道で恐ろしいのは、歩行者優先ではないこと、車もバイクも隙間が出来れば容赦なく突っ込んでくることであった。横断歩道があっても、停まってくれることを期待してはいけないし、信号があっても右折車、左折車には常に注意をしなくてはいけなかった。これもまた、異文化を知るいい機会なのかもしれない。また、歩いている途中雨が降り出したが、ほんの一時的なもので、傘の出番は短かった。

 

ホアンキエム湖までの途中、線路を一度だけ渡ったが、ここはタイのメークローンに似て、線路ぎりぎりまでお店が並んでいた。その一つ、バインミー(フランスパンのサンドイッチ)屋でお昼をいただく。母は念願のコリアンダー入りサンドにありつけ、ご満悦だった。

ホアンキエム湖 湖の中に「亀の塔」と呼ばれる祠が

銀行から1km強の道を走破し、ホアンキエム湖に到着。この湖は市民憩いの場で、緑に囲まれた静かで美しい湖だった。言いだした本人が、もう足が限界だというので、ここで帰ることにした。母は角にあったユニクロでシャツを一枚購入し、自分のアプリでタクシーを呼ぶ。3人はハノイに別れを告げ、再び大橋で紅河を渡り、ホテルに着いた。しかしここでまたもやトラブルが。ここまで運んでくれた運転手さんが「マニー!」と言うのである。私が呼んだ3回のタクシーでは支払いはすべてカード引き落としだったので、これは何かの間違いか?と疑ったが、結局ホテルのスタッフさんに紙幣を崩してもらって、お札を運転手さんに渡す。後で調べたら、母のアプリにはカードが紐付けされていなかったようだ。

蒸し暑い中、よくもまあ長距離を歩いたものだと、汗だくで部屋に戻る。しばしの休憩の後、昨日と同じ場所で夕飯をいただいた。明日はバンコク。食事を待っている間、私は両親を巻き込んでもう作戦会議を始めたが、気が早かっただろうか?


2カ国目 ~タイ(工事中)~

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